YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

浜松への旅の話(その1)~小さな旅

2021-07-06 20:08:51 | 「YOSHIの果てしない旅」 第1章 プロローグ
浜松への旅の話(その1)
 高校卒業後の昭和38年3月○○会社に入社し、その4月下旬のある日、『外国へ行けないのなら日本国内だけでも無銭旅行しよう』と思い立った。持ち合わせは、1~2か月分の給料(卒業は3月中旬だが、2月から出社していた。)しか支給されてないから、1万円程であった。通勤にいつも利用している直江津発の深谷駅6時15分発の富士行き上り列車に乗り、私は会社や両親に無断でそのまま東京駅から下ってしまった。行く目的地もないので、横須賀線に乗り換え、その日は2番目の義兄のアパートに立ち寄る事にした。兄が帰るまで港を散歩して過ごし、その夜は兄のアパートで1泊した。                『無銭旅行しよう』と思い付きで出て来たので、特に計画を立てた訳でも、行きたい場所もないので、次の日は目的もなく東海道線を下った。天気の良い日で暖かく、車窓からの海岸線の景色や海がとても美しかった。                                                                   
列車は小田原、沼津、富士、そして、清水を過ぎて行った。この各駅列車の行き先は思い出せないが、途中、学生達が乗り降りし、彼等の方言交じりの会話が耳に入ってきた時は、何だか遠い所へ来た様な感じがしてならなかった。私はボクスシート(合い向かいの4人掛けの座席)を1人で独占していた。列車が静岡を出ると、18から20歳位の女性が乗り込んで来ました。私の前の席に座ろうか如何しようかと、迷っていた感じがしたので、「どうぞ」と言って彼女に促した。良い感じがしたので、『この女性と話が出来たら良いなぁ』と内心ドキドキしていたが、何分か過ぎた後に思い切って声を掛けた。
「失礼ですが、会社の帰りですか」と私。
「いいえ、就職の件で静岡の本社へ行って今、家へ帰る途中です」と彼女。
「何と言う会社で、何処で働くのですか」と私の失礼な質問。
「鈴与株式会社と言い、職場は浜松支店に決まりました」と彼女。
「それで、家は何処ですか」又私は不躾な質問をしてしまった。
「浜松です」と彼女。
声を掛け、話し出したら私達は10年の知己の様に色々な話をした。仕事の事、“私の海外文通の事”(実際にイギリスの文通友達の写真を持っていたので、彼女に見せた)、人生の事、この辺り(浜松)の地理の事等々話し合った。そして、彼女との話が途切れる事はなかった。
 彼女は、明るく屈託のない、山や旅が好きな女性であった。静岡から浜松まで1時間30分程だと思うが、この間なんと時間の過ぎるのが早く感じた。出来れば時間が止まってくれれば、と願ったほどであった。私の母校は男子生徒のみで、異性を感じるようになって女性とこんなにも楽しく、そして長い間、話をした事がなかった。このまま彼女と何処までも行って見たい心境に成って来て、浜松に近づくのが悲しくなって来た。
「私も浜松で降ります。何処か無料で泊めてくれる様な所、例えばお寺とか、知っていますか」と尋ねた。彼女ともっと居たいが為、考え出た言葉がこれであった。後から考えると何と愚かな質問であった事か。しかし、彼女は私の為に一生懸命に考えてくれた。しかし、彼女には分らず又、到着したら浜松支店の方に立ち寄らなければならず、私を相手にしている時間がなかったようであった。
私の希望とは裏腹に、列車は浜松に到着してしまった。私は彼女と共に下車した。改札口を出ると彼女は、「それではここでお別れしなければなりませんが、元気でいて下さい」と言ってくれた。         「さようなら。でも、又会えたら良いなぁ」と私はこれだけ言うのが精一杯であった。そして彼女が街の雑踏の中へ消えて行くまで見送った。
 初めて経験した小さな旅、そして人との“出逢い”(文中時々、『出会い』も使用)。出逢いがこんなにも素晴らしく、そして、別れの時の寂しさ、悲しさを初めて経験し、これが旅なのだ、と実感した。
 彼女と別れて行く宛てもなく、何とはなしに東海道を下り、そして郊外に出て、着いた先が舞原駅であった。日が暮れ、辺りが薄暗くなっても泊まる所がない惨めさ。所持金は既に1万円もなかった。言い様もない寂しさが沸いて来て、私の旅もこれまでであった。午後8時頃、上り東京行きの列車に乗って帰って来た。
  数日後、彼女の名前と会社名だけ聞いていたから、浜松支店宛てに手紙を出した。住所は知りませんでしたが、多分届くと思ったからです。間もなくして、彼女から返事が来たので非常に嬉しかった。文中に「静岡から浜松までの間、とても楽しかった」と書いてあった。又、「貴方と別れ、会社に寄った後、家に帰って母に貴方の事を話しました。母は泊めても良いと言ってくれたので、2人で駅前及びその周辺を探しました」との事でした。彼女の手紙を読んだ時、人の情けを感じた。彼女の家に泊まりたかったが、所詮、旅を続けることは出来なかったでしょう。