YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

レニングラードの旅~白夜を楽しむ

2021-07-19 08:20:58 | 「YOSHIの果てしない旅」 第2章 ソ連の旅
・昭和43年7月19日(金)曇り(白夜を楽しむ)
 目を覚ますと、広大な草原の中を列車はひた走っていた。その景色は変わらない緑一色の世界、改めてソ連の国土の広さを感じた。車中の居心地はまぁまぁで、良く寝られた。7時30分、レニングラードのモスクワ駅に到着した。レニングラード(現在は『サンクトペテルブルグ』と改称)は、ソ連第2位の都市、帝政ロシア時代の首都(ペトログラード)でもあった。
  ホテルに到着し、荷物を置いて直ぐにバスで市内観光になった。ガイドさんは、美人のロシア人で数々の名所・旧跡を案内してくれて、忘れる事が出来ない旅の1ページになった。彼女はいつも説明の最後に「This is one of the most famous and beautiful buildings 」と言って終るのが口癖と言うか、案内の一つの形式であった。モスクワのガイドさんは日本語で案内してくれたが、こちらでは英語であった。
                         
△レニングラードのネヴァ川の畔にて~ガイドと記念写真
 
 夕食後、私、照井、鈴木の3人は街へ散歩に出掛けた。このレニングラードはネヴァ川と切っても切れない縁のようであった。そして市内縦横に走る運河があり、まるで『水の都』の感じであった。ネヴァ川は綺麗で、ポンポン船がのんびり往来していた。建物や街の雰囲気は、モスクワより明るい感じがして、少しヨーロッパ的な雰囲気が漂っていた。
 夜の9時、10時になっても暗くならなかった。市民、恋人達(モスクワでは若い男女のカップルを見掛けなかった)は公園、河畔に集い、一時の夏の夜(白夜)を楽しんでいた。『白夜、運河、革命と石造りの街』、それが私のレニングラードの印象であった。
 
                       
△レニングラードのネヴァ川の畔にて~巡洋艦オーロラ号(十月革命はこの艦の号砲から始まった。その記念する巡洋艦)

                        
△エルミタージュ博物館出入口にて~ヤポンスキー(日本人)を珍しがるウクライナから来たオバチャン達と記念写真