YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

サルプスボルの旅~鉄道の案内放送の話

2021-07-27 17:13:09 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
*鉄道の案内放送の話
 
 日本の鉄道、特にある鉄道会社は過剰な程にホームや車内放送をしているように感じた。車掌によっては車内に居たたまれない程の大きな音量で、何度も同じ事を放送する人がいた。何度も放送する事、或は決まりきった事を放送する事が、『旅客サービスを提供している』と私は思わなかった。ましてや大きな音量で、しかもしつこい放送は止めて貰いたいだけであった。 
 
 ヨーロッパの鉄道(パリやロンドンの地下鉄を含む)は、何処へ行っても、到着、発車、乗り換え、終点到着、忘れ物注意喚起等の一切の車内放送、或はホーム案内放送をしていなかった。旅客が列車行き先名、時刻表、駅名表示板等を見て、旅客の責任で乗り降りしていた。したがって車内や駅構内は、とても静かであった。

 私は、『案内放送は、無用である』と言っているのではない。もう少し案内放送の仕方を含め、放送音に対する感受性を高め、静かさに対する求め、欲求がもっとあっても良いのではないか、と思っている。

サルプスボルの旅~ホールデン城で美女に出逢う

2021-07-27 15:04:27 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
・昭和43年7月27日(土)晴れ(ホールデン城で美女に出逢う)
 近所の銀行へ行って両替をして、ユース代を払って出た。今日、何処へ行くかまだ決まっていなかった。駅に着いたらHolden(ホールデン)行きの列車が来たので、それに乗った。ホールデンは国境の町、向こう側はスウェーデン領である。ホールデンはサルプスボルの隣町、キロにして15km程度であるから直ぐに着いた。
我々は、コペンハーゲンへ行く事にした。そこへ行くにはHalsingborg(ヘルシングボル)へ行かねばならなかった。駅員に尋ねると、午後8時40分にヘルシングボル接続の列車を教えてくれた。その列車の時間までは、まだ充分あった。そこで、「何処か観光をしたいので、良い所を教えて下さい」と駅員に尋ねたら、彼はホールデン城を教えてくれた。我々はそこへ見学しに出掛ける事にした。
 城門前にある2門の大砲が我々を迎えてくれた。この城は、1640年に建てられ、城内の庭園は良く手入れされ、気持が良かった。
観光客は、殆んど見当たらなかった。そんな美しい庭園の中で、これまた眩しい程の美しい女性がたった1人、イスに腰掛けていた。彼女は長く伸ばした金髪、美形な顔、スラットした足、そして白のミニスカートが良く似合っていた。しかも、彼女は知的雰囲気も漂う女性でもあった。今まで過って私は、これほど美しい女性を見た事がなかった。彼女を見ているだけで、胸がドキドキしてしまう程であった。  
私は堪らず話し掛けた。彼女はスウェーデンから観光で来ている、との事でした。やはりスウェーデン人は、世界で一番美人が多いと思った。「一緒に写真を撮らせて下さい」と言ったらOKしてくれたので、記念に彼女と撮った。こんなに美しい女性と一緒に写真を撮ったのは、初めてであり、そして、最後になった。


      △ホールデン城にて~スウェーデン人美女と私


        △ホールデン城にて

 城内をあちこちと見学した後、青々とした芝生の上で相棒の鈴木と何番か相撲を取っていたら、パチパチと拍手をするのが聞こえた。振り向くとスウェーデン人の夫婦と子供2人の家族4人が、我々の相撲が面白かったのか、手を叩いてくれた。
相撲を取ったら喉が乾いてしまった。彼等にこの辺りに飲料水があるか尋ねたら分らないと言う事で、その代わりに我々にジュースをご馳走してくれた。
それから彼等と片言の英語で日本とスウェーデンの事を話し合った。 
 半日を楽しく城内で過ごした後、午後8時10分頃ホールデン駅に戻った。すると既に午後8時40分のヘルシングボル接続の列車がホームに停車していた。我々は危うく乗り遅れるところであった。
 ヘルシングボルへ行くには、途中駅で乗り換えねばならなかった。ヨーロッパの鉄道は、『車内放送やホーム案内放送』がないので、我々は乗り換えする時、しかも真夜中なので大いに気を使わなければならなかった。この時、同じ車両でブルガリアの18歳位の娘さんが泣いていた。如何したのか尋ねると、「コペンハーゲンへ行きたいのですが、如何したら良いのか分らない」とシュクシュク泣きながら訴えた。接続駅で私は彼女の手を引き一緒に下車し、ヘルシングボル行きの列車へ共に乗り換えた。