YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ストックホルム・オスロ間ヒッチハイクの旅~「腹が空いたなぁ」と日本語で言ったら・・

2021-07-24 14:06:09 | 「YOSHIの果てしない旅」 第3章 北欧三国の旅
・昭和43年7月24日(水)晴れ(「腹が空いたなぁ」と日本語で言ったら・・)
 7時に起き、ユースの外にあるフードスタンドでソーセイジ入りパンとコーヒーで軽い朝食を取った。それからオスロ方面の街道に出て、9時30分からヒッチを始めた。130~150台程の車が通り過ぎて行き、乗せてくれそうなドライヴァはいなかった。
暫くたって1台目が停まってくれた。しかし乗った距離は4~5km、ストア前で降ろされてしまった。降りた場所に例の黒人学生がいた。一緒にユースを出たのであるが、彼はまだこんな所にいたのだ。 2台目の車に乗せてもらったが、20km程で降ろされた。そこに距離表があった。ここは、カールスタードから30km、ストックホルムから346km、オスロまで後198kmの地点であった。この辺りは田園風景が広がり、何の変哲もない場所であった。黒人は今来た道を引き返して、何処かへ行ってしまった。我々は、車の余り通らない国境近くまで来た。


     △スウェーデン国境付近オスロまで198キロの地点にて

 30分、1時間と時が経つが、時たま車が我々の前を通り過ぎて行くだけであった。昼近くになるが、誰も乗せてくれず時間だけが過ぎて行った。そんな時、車の中から手を振っている大野と山下が乗った車が通過していった。カールスタードまで我々の方が早かったのだ。後から聞いた話だが、彼女達は昨夜ある民家に泊めて貰った、との事であった。
 それから更に1時間近く過ぎた。再び向こうから来る車に願いを込めてヒッチ合図を送った。しかし、その車は通り過ぎて行ってしまった。『又駄目か』と残念がった。とするとその車は50m程行過ぎてから停まり、バックして戻って来た。『やった』と思うと同時に、ホッとした安堵感があった。
車には中年夫婦が乗っていた。「オスロまで行くのですが、お願いします」とこれを逃したら今度いつ停まってくれるか分らず、懇願するように頼んだ。
「どうぞ」の声と共に後部トランクが開き、我々の荷物をそこに置いた。
 3台目の車に乗った途端、安心したのか、急に喉の渇きを覚えた。「喉が渇いたなぁ」と鈴木と話していると、奥さんがジュースをさっと差し出してくれた。暫らくして、「腹が減ったなぁ」と話したら、又、さっとサイダーとサンドイッチを差し出してくれた。まるで日本語が通じているようで、気味が悪い程であった。我々が余程、飢えて見えたのだ。そのタイミングの良さに感謝と驚きで、おかしな気分であった。  
腹が減っているのも、無理なかった。今朝の食事は、ソーセイジ入りパン1個とコーヒーのみであったのだ。我々は、2時過ぎてもそれから何も食べていなかったのだ。
 国境に着いた。出入国管理事務所があるな、と言う感じ程度で建物の中に係官は居らず、特に出国・入国の手続きをしていなかった。今までだと入国・出国の際、旅券にスタンプをペタンと押していた。ここは、『どうぞご自由にお通り下さい』と言う感じであった。ドライヴァは速度を落とし、通過した。私も、『気を使う必要はない』と思い、何の躊躇もせず、車に同乗して通り過ぎた。
我々は、バイキングの国・ノルウェーに入ったのだ。暫らくして休憩の為、車はある店の前に止まった。ここで又、ご夫婦からアイス・クリーム等をご馳走になってしまった。ご夫婦と共に写真を撮って、再び出発した。
それから間もなくして今度は、我々が大野と山下を乗せている車を追い越して行った。彼女達と、『追いつ、追われつ』のヒッチの旅になった。
 我々の車がオスロ駅前に到着したのは、午後の4時15分頃であった。彼女達の車は、遅れる事2~3秒後、ほぼ同時であった。それにしてもストックホルム~オスロ間544kmのヒッチの旅が、2組同時に到着とは、不思議と言えば全く不思議でそれは、まさに奇跡であった。 
この2日間、色々な人達と出逢い、好意を受け又、色んな体験をした。もし特急列車利用なら544kmを7時間30分から8時間程で来られたが、色々な思い出に残る様な事はなかったであろう。
最後に乗った車に一番長く乗せて貰った。しかもジュース、サンドイッチ、アイス・クリーム等をご馳走になり、このヒッチ・ハイクは良い思い出となる旅でした。