YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

オスロの旅~トイレの話

2021-07-25 10:58:21 | 「YOSHIの果てしない旅」 第3章 北欧三国の旅
*トイレの話
 オスロのフログナー公園散策中、私はトイレに行きたくなったので有料でも仕方ないと思い、園内のトイレに入った。先に入った人がドアを閉めなかったので、無料で使用が出来てラッキーであった。使った後、ドアを閉めると鍵がかかり、お金を入れないとドアは開かないのだ。ヨーロッパでは公衆トイレが少なく、あっても有料が多かった。

 市内観光巡りは、トイレ探し(有料・無料問わず)で苦労するので、出掛ける前に必ず、出なくてもトイレへ行っておく事が懸命であった。
トイレ探しの秘訣は、大きい公園、観光名所、博物館、美術館、駅(パリ、ロンドンの地下鉄駅にはない)、公共建物等に普通ある。観光中や散策中、トイレへ行きたくなくても、気が付いたらそれらの場所を頭に入れておく事が大切であった。

 パリやロンドンに居た時、トイレへ行きたくなったが、近くにあるトイレが分らず、ワザワザ電車に乗って、知っているトイレへ行った事があった。
所で、無料トイレは洋の東西を問わず、それはむしろ汚いのが常であった。そして所によってはトイレ内に落書きがあった。その中には芸術的な、楽しくなる様な、或は物凄いそのものズバリのイラスト(絵)やコメント付きの作品もあった。

 トイレ内の落書きは、その国の国民性が現れて面白かった。有料トイレであったが、特に過激だったのはオーストラリアのウィーン駅の落書きであった。

オスロの旅~オスロ観光

2021-07-25 09:27:02 | 「YOSHIの果てしない旅」 第3章 北欧三国の旅
△オスロの街角にて~民族衣装着た女性と私Yoshi

・昭和43年7月25日(木)晴れ(オスロ観光)
 
 私のノルウェーの知識・イメージは、海賊バイキング、フィヨルド、漁業・捕鯨の国、それに、船舶製造で、これ位しかこの国に対する知識はなかった。そんな私であるが、地図を頼りに市内観光に出掛けた。
―――観光巡りは省略―――

夜、ユースでアメリカ人、フランス人、白人の南アフリカ人とトランプをして過ごした。国際色で楽しい時間であった。旅をしていると色々な人々に出逢えるから楽しみのひとつであった。
 ユースの娯楽室でちょび髭を生やし、旅慣れたある日本人を見掛けた。この時、私は彼が荻正弘さん(大阪府出身。以後、敬称省略)であるとは、知らなかった。勿論この時、私達は互いに話もしなかった。 
 今夜は部屋のベッドで寝られて良かった。

△バイキングの船(PFN=ネットからの写真)

オスロの旅~女は強い

2021-07-25 08:43:10 | 「YOSHIの果てしない旅」 第3章 北欧三国の旅
・昭和43年7月24日(水)晴れ(女は強い)*全記事からの続き
*参考=ノルウェーの1クローネは、約50円(1オーレは、約50銭)。

 オスロ駅前にて、この国のお金が全くないので両替した。その後4人で相談し、ユースに宿泊出来るか電話で問い合わせを私がする事になった。所で私は欧州ユース・ホステルの所在地・電話番号一覧表の本を持参していた。私が電話をしたら、空いているベッドがなく、断られた。駅前で待っている彼女達に「宿泊出来ない」旨を話したら、「ダメですネ。無理してもお願いするものよ。1つや2つ空いているものなのよ」とアイ子に言われてしまった。 
今度は、私と鈴木が荷物番をして、女性2人が電話を掛けに行った。それは、『全く日本の男性はだらしないのだから』と言う感じであった。それに、『女と言うものは、いざと言う時は強いものだ。特に外国を1人旅しようと言う女は気が強いのだ』と感じた。相棒の鈴木はどの様に感じたであろうか。
彼女達を待っている間、ヘルメットを被り、紺の戦闘服を着て、そしてブーツを履いた警察官らしき人が、スクーターに乗って近寄って来た。一瞬、何者かと思ったが、かわいい感じの女の子であった。彼女は、ツーリスト・ビューローのガイドさんであった。
「何か困っている事がありますか」と彼女に尋ねられた。
「大丈夫です。今、ユース宿泊の為に問合せに行っています」と私。       
「何処から来たのですか」と彼女。
「日本からです。それにしても貴方はかわいいですね。ヘルメットと制服がとても似合うよ。私と一緒に写真1枚撮らせて下さい」と言って彼女の了解を得て、彼女の後ろのシートに乗り、1枚パチリと撮った。それから2語と3言話して、「グッド・ラック」と言って、彼女は走り去って行った。

      
      オスロ駅前にて~ツーリスト・ビューローのガイドさんと

『それにしても愛くるしい女の子だったなぁ。女性はあぁでなくてはダメなのだ』と私の独り言。その内に彼女達が戻って来た。しかし満員で駄目であった。『満員で駄目なものは、誰が電話を掛けても駄目なのだ』と思ったが、彼女達の成果は、「5時にもう一度掛け直して下さい」と言われた事であった。「掛け直してみろ」と言う事は、宿泊出来る可能性が女性の場合はあるが、男性にはないのだ。
大体、ユース宿泊の状態が分って来た。宿泊部屋のベッドが一杯の時、電話での問合せ、或いは夜間以外の直接交渉は、宿泊を断る事が多かった。ただ女性には若干余裕を持って対応していた。しかし夜、直接行った場合、断らないで大広間、通路、時には昨日の様に台所に簡易ベッドを置き、食事なしで対応していた。夏休暇期間中は、ユースの宿泊も大変であった。
 オスロの駅前でそうこうしていると、髭を長く生やした青年が、「如何かしましたか」と聞いて来た。
「ユースに電話したら一杯で断られて、困っているのです」と我々。
「私がユースまで案内し、交渉してあげるから、付いて来て下さい」と彼は言った。我々4人は彼に付いて行き、駅前からバスに乗った。
と、ある停留場で我々はバスを降りた。髭の彼は彼女達のトランク2つをヒョイと担ぎ、スタコラと先頭を切って歩き、我々4人はシゲシゲその後に続いた。
もしかして彼女達はバイキングの子孫の髭モジャ青年にたくましさを感じたであろう。それにひきかえ我々男性2人はやっとの思いでトランクを運び、重そうにシゲシゲと後に付いて歩くその姿を、彼女達はどの様に感じたか。日本男子の自尊心を傷つけられたようだが、シゲシゲと彼の後に付いて行くしか、今は能がなかった。私はこの時、ひがみっぽく感じてしまった。
 ユースに着いて、彼は受付係りの女性に何か話をした後、去って行った。わざわざバスに乗って案内してくれた。なかなか出来ない好意だ。有難う御座いました。
お陰様で彼女達は寝室部屋のベッドを確保出来たが、男性の方は一杯で、「夜9時まで待ってくれ」と言われてしまった。しかし、屋根の下で寝られるのは、確かだ。まさか9時まで待って、『出目だから』と言って、夜の町へ戻される事はないであろう、と思った。
我々は時間潰しと夕食を取る為、外へ出た。街は静かすぎるほどであった。結局、寝る場所は大広間であった。そこに折り畳み式簡易ベッド並べ、おまけに汚い毛布が配られた。その汚さと、寝心地の悪さ、ベッドの軋む音でグッスリ、と言う訳にいかなかった。倹約旅行も大変だ。それにしても昨日と今日は、鈴木との思い出に残るヒッチの旅であった。
大野さんは、「バーで働きながらこちらに来る旅費を貯めたが、帰りの旅費代(航空券、又は乗船券)は持ってない」と言っていた。もう1人の山下さんは、銀行に勤めていたそうだが、休暇を取って来たのか、退職して来たのか、敢えて聞かなかったので分らなかった。でも、これで彼女達との旅も終りだ。明後日、彼女達は「フィヨルドを見に北上する」と言っていた。我々は南下する予定であった。
振り返ればハバロスク号の船上で出逢い、それ以来、共に11日間ここまで遣って来た。『2・3日前まで、アイ子はかわいい子だなぁ』と思っていたが、今日の様なキツイ言い方をする女性は嫌いだ。又、私の周りから2人去って行く。
彼女達に、「グッド・ラッグ」。疲れた。お休みなさい。