YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

パリの旅~私が見た事、感じた事その2、パリの街角の話

2021-07-31 15:55:00 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
△コンコルド広場のオベリスク

*パリの街角の話
パリでも観光は、基本的に歩いて回った。それによって楽しい事、新しい発見や色々な風物に接する事が出来た。
 保守的とも伝統的とも言えるフランスの心と誇りを、今でも脈々と受け継いでいる何が感じられた。彼等が住んでいる建物は、何処へ行っても歴史を感じ、非合理性であっても旨く生活に調和させ、合理的に使っているようであった。
 又、通りのウィンドー・デスプレィーは、実に美しく、感心した。店を遅くまで開けて儲け主義に走らず、殆どのお店は午後7時頃で店を閉じるが、ショーウィンドーだけはシャッターを降ろさず、しかも、明かりをつけて夜の散歩する人を楽しませてくれていた。
メトロの入口や橋の上、或は、ちょっとした所に新聞・雑誌の売店(キオスク)があったりした。
市内には、大小の公園、広場、或は、門(道路の真ん中に広場と記念碑門)があり、そこは一つのオアシスの感じであった。そこでベンチに腰掛けている老人達や若いカップルが語り合ったりしていた。そんな中、夢中で遊ぶ子供達の光景があった。パリジャンは日本人と何処かが違う心のゆとり、或は、仕事と余暇の使い分けが上手い、誠に羨ましい雰囲気があった。

パリの旅~私が見た事、感じた事その1、パリの観光巡りの話

2021-07-31 15:25:26 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
 △エトワール広場にある凱旋門(PFN)

 私のパリ滞在は、7月30日(午後到着)・31日・8月1日・2日・3日(午後マドリードへ出発)、8月19日(午後到着)・20日・21日・22日・23日・24日(正午ロンドンへ出発)、11月13日(夕方到着)・14日・15日(イタリアへ出発)と言う事で、足掛け14日間滞在し、正味1日中パリに滞在したのは、8日であった。
 滞在期間中、全てを見物に費やした訳ではなかった。強いて言えば、パリは私のヨーロッパ旅行の中継基地と言う感じで、休養したり、次の準備をしたり、日記や手紙を書いたりして過した時間の方が多かった。
しかし、そんな中でも極力、私は観光へ出掛けた。そして、パリについて私が見た事、感じた事、体験した事をここに纏めた。

*パリの観光巡りの話

 パリは、セーヌ川によって南北に2分されていた。見所は川に沿った近くにあり、殆んど歩いて行ける範囲であった。
その中心にあるのが『ルーブル宮殿』であった。そして『ルーブル博物館』は、この宮殿の中にあった。殆どの美術品は、ナポレオンが占領各地から持ち帰った物、と言われていた。展示品が余りにも多いので、2日や3日では見切れない程であった。それで何を見たかと言うと、私は殆んど記憶に残っていなかった。 
何年か前、東京にモナリザの絵画が展示された時、見たい人が余りにも多すぎて、その前に立ち止まって鑑賞出来なかったそうだ。しかしルーブル博物館ではその絵が小さすぎてか、それとも他に見るべき美術品があるのか、モナリザの前に人がいなかった。注意していないと何処にその絵画あるのか、知らない内に通り過ぎてしまうほどであった。

 私がマサオの部屋に帰ってから、今日何を見たのか思い出せなかった。余りにも美術品・作品が多く、その上、漠然と見ていたのでこの様な結果になってしまった。 
強いて上げるなら、ミロのヴィーナス、モナリザ、ミケランジェロの奴隷の像、晩秋、そしてピカソの絵画等であった。それに広すぎて、疲れた。Yoshiは美術品に対する鑑賞の仕方、作品に対する知識がないから、3時間程度で直ぐ飽きたのだ。広い美術館に、たくさん良い作品がいっぱい見られるのに、疲れたとは何事だ、と美術鑑賞が好きな人から怒られるかもしれませんでした。しかし、日本に居た時は、美術館へ行った事がない私が、パリ滞在中このルーブル博物館へ3回も行ったのでした。
 
 鑑賞後、ルーブルを出ると直ぐ『カルーゼルの凱旋門』があり、それを見ながら行くと、広くないがフランス風の庭園『チュイルリー公園』があった。その園内に噴水池があり、近所の子供達がオモチャのヨットを池に浮かばせて楽しんでいた。又、子供連れのお爺さんがベビーカーを押しながらの散策は、平和そのものに映った。アイスクリームを買ってベンチに座りながら、そんな光景を見ているのも楽しい一時であった。
 
 その公園から直ぐ、フランス革命の表舞台になった場所『コンコルド広場』があり、その広場中央に立っているのが大理石の『オベリスク』と言われる塔があった。そのオベリスクの向こう遠くに『エッフェル塔』が良く見えた。
このコンコルド広場から南に『シャンゼリゼ通り』、その通り越しに『エトワール広場』にある『凱旋門』も良く見えた。
ここは正に『パリのどまん中』、その中心に私が今いるのが不思議で仕方がなかった。特に素晴らしいのは、夜のコンコルド広場に数千の街灯が点灯し、そこからのシャンゼリゼ通りの夜景は、最高であった。街や外灯の灯りと自動車の灯り、そして、その向こうに凱旋門が浮かび上がるその光景は、正に『百万ドルの夜景』であった。
シャンゼリゼは、フランスの一流のお店が建ち並び、パリのメインストリートであるが、ケチケチ旅行の私には縁のない場所であった。しかし、歩道までせり出したカフェの椅子に1人腰掛けて、人々の行き交う光景、ネオン輝く街、光を放って往来する車、そして左手に光を帯びて浮かび上がった凱旋門を眺めながら、私は静かに飲むビールにむせび、何故か一筋の涙が出てくるのを抑える事が出来なかった(8月21日夜)。

 私は、ルーブル~コンコルド~シャンゼリゼ~凱旋門と、この一帯を3~4回程散策した。凱旋門のあるエトワール広場(ここを中心に12の街路が放射線状に伸びて整然としている)からクレベール通りを下ると『ジャイヨー宮』(1937年の万博記念)があった。その建物前の公園を通り、セーヌ川を渡ると『エッフェル塔』に着いた。パリへ折角来たので記念にエレヴェーターで昇り、そこからパリの街並み、眺望を楽しんだ。
塔の前の『シャン・ド・マルス公園』の芝生と花壇の花が綺麗で、そちらの方が印象に残った。この公園の先が『エコール・ミリテール』(陸軍士官学校)、直ぐ傍にある『アンバリッド』(廃兵院、1789年フランス革命の歴史的建物)を見学した。 
 
 パリ見物で見逃してはならないのがセーヌ川のシティ島にある『ノートルダム寺院』(ゴシック建築の代表作)だ。建物の形、彫刻群が美しく、又、内部の荘厳さ、ステンドグラスの美しさに感動した。院内に賛美歌が流れ、お祈りの響きに身も心も清めさせてくれた感じであった。  

パリの旅~ホテルでゆっくり過ごす

2021-07-31 14:05:06 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
△エッフェル塔とパリの町並み(PFN)

・昭和43年7月31日(水)晴れ(ホテルでゆっくり過ごす)
 
―――日記や手紙を書いて過ごした。―――