YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

マドリードの旅~陽気なスペイン人

2021-08-03 13:50:10 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
△ドン・キホーテの像(PFN)

・昭和43年8月3日(土)晴れ(陽気なスペイン人)
*参考=スペインの1ペセタは、約5円(10センチモは、50銭)。 
 トランクは持ち運びが大変なのでマサオの部屋に置いて(8月20日頃、戻って来る予定)、私と鈴木はマドリードに向けて出発した。必要最低限の荷物は、軽い手提げ用バッグを昨日買って、その中に入れた。
 前もって座席予約したIrun(イルーン)行き列車は、モンパルナス駅を午後2時05分、余裕を持って出て来たので充分、時間があった。我々は時間が来るまで駅前のカフェで、ゆっくりコーヒーを飲んで時間を過した。
イルーンは、大西洋側のスペイン領でフランスとの国境の町、近くにSanSebastian(サンセバスチャン)と言う大きな町がある所であった。

 イルーンには午後9時に到着した。Madrid(マドリード)行き列車は夜中の午前0時05分であった。コンパートメントには我々2人の他、後から田舎者風の5人のスペイン人が乗り込んで来た。真夜中で然も、乗車してから時間が経っているにも拘らず、彼等はのべつ幕なしにペチャクチャ唾を飛ばしながら、声高らかにして話し続けているのには参った。おまけに前の人の足がプンプン臭く、異臭を放っていた。寝ようと思っているのに寝られず、頭に来ていた。

 暫らくすると、彼等は林檎を取り出し、その1人が我々に1つずつ林檎をくれた。それから間もなくして一人がワインを荷物から取り出し、5人で回し飲みを始めた。5人の内、小学2~3年生位の子供が1人居たが、その子供までがグイグイとラッパ飲みをしていた。大人が子供に気にもしないで酒をかまわず飲ませていた。日本ではありえない光景であった。後から分ったが、スペインでは他の子供もワインを飲んでいた。
その内、私に彼等の回し飲みをしていた衛生的とは思われない瓶を、『飲め』と言わんばかりに差し出されてしまった。『弱ったなあ』と思ったが、根が嫌いではないので一口ゴックン、もう一口ゴックン。これは正直に旨かった。「ヴェリー・ナイス」と言ったら、「もっと飲め」と言うのだが、私は断った。
 これを機会に、彼等とコミュニケーションを図った。私は大して英語を話せなかったが、彼等はもっと話せなかったので、身振り手振りも加わった会話であった。彼等は陽気で屈託がなかった。「日本人は良く働き、スペイン人は余り働かない」とこんな事も語って一時を過した。ある程度、日本の事を知っているのだ、と感心した。
 
 2時間或はもっと過ぎた頃、列車はある駅に止まった。彼等はおもむろに、「何処の駅なのかなぁ」と外の駅名表示板を見た。自分達の降りる駅だと分るや否や、荷物を窓からホームへポンポン放り投げ、ドタバタと下車して行った。彼等のその慌て様ときたら可笑しくてしかたがなかった。
降りてから彼等は、窓越しに握手を求めて来た。スペイン語で何を言っているのか私には分らなかった。多分、「スペインの旅を楽しんで下さい。ごきげんよう、さようなら」と言っているようであった。
列車が動き出した。私が窓から手を振ると、彼等も見えなくなるまで手を振っていた。彼等は、本当に陽気なスペイン人であった。
 
 やっと静かになり、少しでも寝る事にした。「お休みなさい」。