YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ロンドンの旅~腹痛に耐える。夜はシーラと過ごす。

2021-08-26 14:14:28 | 「YOSHIの果てしない旅」 第5章 イギリス
△私とシーラは腕を組み、静寂した街に2人の足音だけが響いた。挿絵 By M. Yoshida

・昭和43年8月26日(月)曇り時々晴れ(腹痛に耐える。夜はシーラと)
 
 一泊食事なしの宿泊代1ポンド以上は、高かったので、ユースへ移る事にした。私は世界各国ユースの住所録の本を持っているので、市内地図を頼りに移動するのであるが、この移動が今日、腹痛の為、非常に辛かった。
私が泊まろうとしたユースは、郊外のピカデリー ラインにあった。そのユースへ行こうとして、地下鉄パディントン駅から電車に乗ろうと切符を購入していたら、急に腹が痛くなって来た。
昨日は、8時から9時頃の間、少し腹の調子が悪かった。しかし今日は非常に痛く、私は改札口前附近の片隅でうずくまってしまった。イタリア旅行中の2日間、腹痛で悩まされた事があったが、今日はそれを上回る痛みで苦しんだ。
 腹痛の原因は多分、食事内容の変化、食事の不規則(取る時間も不規則なら、食事を取ったり取らなかったり)、生活や環境の変化等からこの時期になって起こったと考えられる。そして右も左も分らない異国で毎日神経を使っての一人旅、胃の方も参るのも不思議ではなかった。
 日本であれば即、救急車の手配をお願いする状況であったが、異国ではそう容易く行かなかった。私は6ヶ月間有効の旅行傷害保険に入っているが、だからと言って即、医師の診断を受けるより、我慢して治る方を願っていた。又、言葉の障害に加えて手続きの煩わしさ、煩雑さが嫌だった。しかもその保険の条件は、治療代等は現地払い(医師の証明書等を貰って帰国後、清算)で、私の手持ち金がその分、減少するが嫌だった。そんな訳で救急車手配、病院での治療等は論外であった。
 改札口前の片隅に座り込んでしまった私は、一時的な腹痛である事を願いながら極度の痛みに耐え、和らぐのをじっと我慢しました。。私の前を多くの乗客が通り過ぎて行ったが、誰も心配してくれる人はいなかった。なんて哀れな姿であろうか、自分でも嫌になるほど悲しかった。暫らくしてから、私の状況を見ていた中年女性の改札係の方が心配し、「如何しましたか」と声を掛けてくれた。
「お腹が痛くて歩けないのです。直ぐに治ると思いますので、暫らくの間、ここに居させて下さい」とやっとの思いで答えた。改札口前の片隅で30分~40分程安静にし、和らぐのを待った。改札係員の私に対する関心がせめてもの慰めであり、万が一の場合(救急車等の手配)の安心感であった。
 腹痛が少し和らいで来たら、今度は大きい方のトイレへ行きたくなって来た。トイレを貸してくれるようにその係員にお願いしたら、「何処の地下鉄駅には一般乗客用のトイレはないので、国鉄パディントン駅へ行って、そちらのトイレを使ったらいいですよ」と教えてくれた。係員にその場所を教わり、トランクを預かって貰った。腹痛とウンコが漏れそうで歩き方もぎこちなく、腹を抑えながらやっとの思いで国鉄のトイレに辿り着いた。距離的には近いが、私にとって遠い感じがした。用を足したら腹痛は大分、和らいで来た、と言っても完全に治った訳ではなかった。 
 ユースに予約制がないのは、既に承知していたが、取り敢えず電話を入れてみた。「5時に来てくれ」と言うだけで、電話は一方的に切れてしまった。仕方ないのでユースへ午後5時に行く事にした。それまで時間を潰さなければならなかった。国鉄パディングトン駅のコイン ロッカーにトランクを預けようとしたら、やり方を知らなかったので6ペンス(約24円)損してしまった。余談であるが当時、まだこの種の物は日本に無く、駅事務室で一時預かりをしてくれた。
 腹は空いていたが、まだ胃はジクジクしていて、食べる気はしなかった。それに疲労感もあって何処か見物に行く気力もなく、近くのハイドパークの公園で暇を潰した。晴れていたので多くの人が日光浴を楽しんでいた。又、若いカップル達は、人目をはばかる事なくキスをして愛を確かめ合っていた。そんな光景は、やはりヨーロッパ的であった。それに反して私は腹痛で一日中、公園でボケーとして時間が過ぎるのを待った。お陰で胃の痛みは治った。ユースの人は「午後5時に来い」と言うので5時に行ったら、危うく泊まれ損なう所であった。皆、その前から並んで待っていたのでした。
 午後7時にブレント駅でシーラと会う約束をしているので、6時にユースを出た。ユースから駅まで歩くと25分位掛かるので、ダブル・デッカー・バス(ロンドン名物の赤い2階建てのバス)に乗った。駅前で降りたのに何を勘違いしたのか、まだ駅に着いていないと思い込み、歩き始めた。振り向いたらバスが来たので駅まで乗ろうと思って車掌に聞いたら、「駅は後方、あちらですよ」と言われた。大分行過ぎているのに気付き慌てて戻った。
 そんな理由で5分遅れてブレント駅に到着した。シーラは、笑って待っていてくれた。
彼女は、今日も夕食を作ってくれた。私は今度、何も口出しをせず、大人しく部屋で待った。夕食は、野菜と細切れの肉が入っている料理(缶詰から取り出し、暖めた即席の料理。マーボー豆腐の様な味であった)、パン、アイスクリーム、ケーキ、そしてティーであった。私にとっては豪華な料理であり、腹痛も治りとても美味しかった。彼女は私を部屋に招き、持て成してくれて本当に有り難かった。
 彼女と一緒に食事をしながら一時を過ごせる事は、私にとってとても嬉しい事でした。私は寧ろ彼女に申し訳ない感じがするのでした。と言いますのは、女性が1人で都会に住むのは、経済的にも大変だと思う。それなのに、自分が好き勝手にこちらに遣って来て、彼女に出費や時間を私の為に何かと費やしてしまった。文通友達と言ってもそんな事を考えると、私は気が重いのであった。
 私はローマでバスに入って以来、ここ暫らくバスに入っていなかった。身体を洗いたいので、申し訳ついでに彼女に言って入浴させて貰った。久し振りに暖かいお湯に浸り、とても気持が良かった。しかし、ユースでシャワーが使用できる時は、身体を洗っていた。
 今夜も私と彼女は、腕を組んで駅まで歩いた。そしてシェイラは改札口で手を振って見送ってくれた。
ユースに帰って来たのは、門限近くでペアレントに注意されてしまった。危なく入口の鍵を閉められるところであった。