YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

マタロ、セルベール、サボーナ、ピサの旅~相棒の鈴木、そしてリターとの別れ

2021-08-06 09:41:25 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
△現在のマタロの海岸(PFN)

マタロ、セルベール、サボーナ、ピサの旅~相棒の鈴木、そしてリターとの別れ

・昭和43年8月6日(火)晴れ(相棒の鈴木、そしてリターとの別れ)
 昨日、私と鈴木は話し合って、別々に別れて旅をする事になった。彼が私の気持を傷つける事を言ってしまっては、私としても一緒に旅をする気持にはなれなかった。我々2人はどうやら外国にも慣れて来たし、別々に旅が出来ると考えた。
ただモスクワで意気投合し、「共に旅をしよう」とそれでここまで一緒に旅を続けて来た。本当に楽しい日々であったし、彼が居るだけで寂しさも紛れたし、心強さもあった。しかし、旅の途中で出逢った人は、必ずいずれかは別れる日が来た。人それぞれ自分に合った旅をすれば良いし。2人一緒だとどちらかが妥協しなければならないし又、相手を頼る事にもなった。それは、自分の為にも決して良くない事であった。この辺で別れて、自分の旅をするのが一番良い、とは言っても今まで私がイニシアチブと取って来た経緯があった。
 私はこちらに来る前、列車の旅のイメージ又は希望として、『知らない町や村を2等列車で地元の人達とのんびり旅がしたい』と言う事であった。しかし実際こちらに来ての旅の仕方が、最初の日を除いて違っていた。大都市から大都市へ、1等車で駆け回っているだけだった。自分が望んでいたものと違った列車の旅をしていた。これは彼の責任ではなかった。私の責任であり、その原因は私のパスが1ヶ月間有効だからであった。結果として、1ヶ月間だけだと大都市間を駆け回る様な旅をしなければならない。のんびりと地方を旅する暇がない。それでは2ヶ月・3ヶ月間有効のパスにすれば良かったが、イギリスのシーラに会う件もあるし、半年や1年の旅の希望で経済的なこともあるし、それは難しかった。

 午前9時頃、列車はバルセロナに到着した。彼は前からここで下車するつもりであった。
「それでは」と言って彼は席を立った。「日本に着いたら手紙を書いて下さい。又会いましょう。元気で旅を続けて下さい」と私は言った。しかし彼は無言でカナダ人女性と共に下車して行った。無言が彼のせめての抵抗であったかもしれなかった。私が彼を突き放した様なものだから。プラット・ホームを歩く彼の後ろ姿が、何故か寂しそうであった。実際、私も寂しかった。
 
 列車は少しずつ動き出した。辛い別れであった。思えば3週間、彼と共に旅をして来たのだから・・・。しかし、これも運命であるし、旅であった。私とリターが同じコンパートメントに残った。彼女に鈴木との旅について話をした。そして、「今は別れて寂しいのだ」と言ったら、彼女は私を励ましてくれた。2人で、『You are my sun shine』の歌を歌った。
列車はマルセイユ行きで、リターもマルセイユからローマへ行くと言った。私はリターと一緒にローマへ行きたかったので、「ローマまで一緒に行きませんか」と言った。
「マルセイユまで一緒に行きましょう。後は別々に旅をするの。OK?」と言われてしまった。返す言葉がなかった。
彼女は婚約者がいるそうで、卒業したら結婚する予定との事。そんな彼女に付き纏う事はいけないし、人それぞれの旅をしなければいけない。だから鈴木にも、「お互い違った旅をしよう」と互いに納得して別れたばかりなのだ。そんな訳で、彼女の言った事が良く分るのであった。
「ヨシ、貴方には親切にしてもらい、マドリードから楽しい一時を過ごす事が出来て感謝しています。でも、いつかは別れなければならないの。それがマルセイユなの」とリター。
「I understand you, Rita」と私。
旅とは、つくづく寂しいものだと感じた。先程、鈴木と別れ、そして又、リターとも別れなければならない。独りよがりであるけれど、私はリターが好きになってしまった。マルセイユで別れるのであれば、何処で別れても同だ。『未練を残さず、列車が次に停車する駅で別れよう』私はそう思った。   
 
 列車は、Mataro(マタロ)と言う小さな駅に滑り込んだ。
「今、列車から降りた方が良いのだ。良い思い出を作ってくれただけでもリターに感謝しなけれ
ば」と思い、そして下車する決心をした。
「リター、私はここで降ります。マルセイユで別れても、ここで別れても同じだから。貴女には楽しい旅を続けて下さい。そして、宜しければ私に手紙を書いて下さい」と言って、私の住所を書いた紙切れを彼女に渡した。
「ヨシ、ありがとう。Good luck」とリター。 
私は列車から降り、そしてすかさず彼女の窓際へ行った。彼女は窓から手を出していた。私はその手を握った。私は何と言えば良いのか、分らなかった。列車は動き出しそして、手が離れた。「Good luck, Rita」私は叫んだ。
「Good luck to you too, Yoshi」と言って彼女は手を振った。私も列車が遠ざかるまで、いつまでも手を振った。リターとの束の間の出逢いであった。私は彼女を好きになり、楽しい一時を過し、そして、それは夢の様に終った。
鈴木と別れ、そして今、又リターと別れた。ホームに残された私は2人の旅の友を失った悲しさ、寂しさが覆い、涙が止めどなく溢れ、頬へ伝わった。

 下車したマタロは小さな町、バルセロナから1時間半程来た所であった。駅の裏側は地中海の美しい海岸が広がっていた。寂しさを吹き飛ばす為、一泳ぎしようと思ったが、まだ朝食も取っていなかった。昨夜、早めに夕食をしたので朝食用に買ったパンは、その夜に食べてしまったのだ。駅前の商店は、11時頃なのにまだ閉まっていて、街に活気が全くなかった。日本のこのくらいの街であったら、何らかの経済活動があるのであるが、この街では見られなかった。
駅前のバーに入った。スペインのバーはレストランも兼ねていて、食事も取る事が出来た。その店に入ったら、午前中から既に何人かが酒を飲んで盛んにお喋りをしていた。午前中から酒を飲んでいるから、スペインはヨーロッパの中で時代遅れになってしまったのだ、と私は思った。しかしその反面、日本人はコセコセと働き過ぎ、働く事しか知らない国民なのだとも思った。どちらに人間らしさがあるのか現時点、答えは見出せなかった。
私はマドリードで食べた例の〝トルティージャ〟(卵焼きの中にポテト・肉・野菜が入ったスペインの代表的な料理)とコーヒーを注文した。こんな田舎町に東洋人が珍しいのか、食べながらの私は、彼等の注目の的になってしまった。
 
 食後、浜辺へ行った。泳いでいる人は勿論、誰もいなかった。鈴木やリターの事を忘れよう、と海に入った。今年、初めて泳ぐ海は外国の、しかも日本人には誰も知らない田舎町のマタロの海岸であった。
しかし、他国の誰もいない海で泳ぐのは、海の底から足を引っ張られる様な怖さと薄気味が悪い感じがしたので早々、海から上った。
 今日は、色々な事があった。3週間共に旅して来た鈴木と別れ、そして、リターとは1~2時間前まで私の傍に居たのに、今はもう居なかった。「出逢い、そして、別れ。それが旅なのだ」と言う感傷に慕っていた。それは素晴らしく又、悲しかった。海外旅行は私にとって一生にこれ一度しか出来ないのか。否、又来られるように頑張ろう。私は色々な事を考え、想うのであった。
今思えば、リターの住所ぐらい聞いておけば良かった。写真も撮っておけば良かった。残念であるし、反省した。夢であるなら住所も聞けないし、写真も取れない。そうか、夢であったのか。自分に言い聞かせた。泳いだり、物思いに深けたり、日記を書いたりして、浜辺で2時間ほど過ごした。
 
 又、駅前のバーで今度は、昼食を取った。夕食用に例の料理とファンタジュースを買った。午後1時38分、ローカル列車のCerbere(セルベール)行きの列車に乗った。一人寂しく車窓からスペインの山河、町や村を眺めていた。凄く人が恋しくなって堪らなかった。
日本を出て、初めて1人旅になってしまった。鈴木は私より英語が駄目であったが、彼がいるだけで心強かったし、何か安心感があった。しかし自分から、「別れよう」と言い出したのだ。そして、彼と実際に別れ私の胸中は、寂しさと何か不安でしかたがなかった。
不思議なものだ。共に居れば時には気まずさもあるし、居ない方が良いと思う。そして居なければ寂しさを感じる。人間と言うものは、訳の分らない者なのだと感じた。でも私は思うのだ、『人生勉強をするには1人旅をする事だ。異国の地で自分なりの旅をして行く事が大事であり、自分にプラスになるのだ。そして私はこの道を選んだのだから寂しさを乗り越えなければならないのだ。これからが本当の自分の旅になるのだ』と。
 
 列車は国境を越えると乗っていた乗客はスペイン人からフランス人に変わった。スペインの余り木が生えていない、何か殺伐とした風景から、フランスに入ったら木も建物もまろやかな風景にがらりと変わった。 
国境から間もなくして、セルベールと言う小さな町に到着した。観光地化されていない小さな町、この様な所をぶらぶら歩いてみるのも面白いと思った。駅からそんなに遠くない一つ星のホテルで一番安い部屋を頼んだら、1泊6フラン(480円で食事なし)にしてくれた。

 夕食用のパン、果物、牛乳を買いに出掛けた。食料店はホテルから駅へ向かう途中、右手に曲がり、坂を下りた左手にあった。ここから海はもう見えた。そこからなお下りて行くと海岸で海水浴があった。ここの海は、とてもきれいで透き通っていた。『何ときれいな海や景色であろう』と1人で感激した。
浜辺は、砂浜ではなく、小さい石が敷き詰められ、遠浅ではなかった。ここは、リゾート地であった。海水浴客は居たが、ほんの数十名程度であった。海水は冷たく、長く入っていられなかった。
良い所だし、もう一日ここでのんびり過ごし、出立は8月8日とした。