YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

ロンドンの旅~垣間見たイギリスの失業者達の話

2021-08-29 09:36:36 | 「YOSHIの果てしない旅」 第5章 イギリス
・垣間見たイギリスの失業者達の話
 今日(1968年8月29日)、ロンドンブリッジへ行く途中、シティの趣を変えた下町(周りに工場や労働者の住宅があった)を散策中、その地域の図書館が目に入った。私は興味本位で中に入って見た。その図書館の中には失業者らしき50人程の中高年齢者が居て、図書館なのに誰も本・新聞等を読んでいる人は、居なかった。大部分の人は椅子に座り机に顔を乗せ、うたた寝を貪っていた。又ある者は、少人数で何組かがお喋りをしていた。ただそれだけの光景であった。
ここが何処なのか、一瞬錯覚する程であった。彼等は皆、薄汚れた服を着ていて、中には生活苦らしい顔さえ浮かべ、居眠り、或いはお喋りだけで、ナッシングの状態であった。この光景は、私にとって奇奇怪怪・唖然とした感じであった。
 日本では普通、図書館と言ったら主体は、若者が中心で一般の人を含めて皆、本を読んだり、それらを参考にしたりして勉強しているのが普通の光景である。
しかしここではその様な概念に対して、余りにも対照的であった。これは一大発見、図書館が居眠りやお喋りの場として、失業者に占拠されてしまったのだ。時間にしてお昼前であった。閉館時間まで彼等はドゥ ナッシング(居眠りと時間潰しのお喋り)の状態で過ごすのであろう。私はここに2つの問題点を発見した。

1つ目は、図書館の本来の機能及び目的が、彼等によって阻害されている事。
2つ目は、端的に要約すれば、労働者の労働意欲、前向きの姿勢が失業問題を解決する前提条件であろうが、彼等の目の動きや動作は、その欠片も無いように感じられた。
この状態は、政治問題より彼ら自身に転化されるべき問題である。私はここに失業問題を抱えたイギリス政府の解決できぬ苦悶、問題点がここにあると思った。
 シーラにこの状況を後で話したら、彼女は、「彼等はレィズィ(怠け者)で、税金泥棒である」と酷評した。彼女は働き者で週5日間会社へ行っている他、毎土曜日に郊外へ行ってアルバイトをしていた。 
 私の知っている限りで、イギリスの失業保険金は、週に12~15ポンド位出ているようであった。勿論、職種や賃金格差によって、もっと保険金の幅があるであろうが、いずれにしてもこの額であれば、独り者にとって何とかやって行ける。
 低階層級が従事する汚い仕事や肉体労働の仕事は、週10~13ポンドであるから、仕事をしても保険金と大して変わらないので、彼等は楽な方を選ぶのだ。そして、汚い、或は、肉体労働の仕事は、外人労働者が従事していた。彼等の殆どは、昔イギリスの植民地であった国、例えば、アフリカ、インドやパキスタン等の人々であった。
 失業保険の是非論から言えば、私も労働者の1人であったので否定しないが、ここにイギリス経済の衰退の一原因を垣間見た思いで、30分ぐらい新聞を読んでいる振りをして、早々退散した。

ロンドンの旅~ロンドン見物

2021-08-29 08:49:12 | 「YOSHIの果てしない旅」 第5章 イギリス
△The Tower タワー(Not PFN)

・昭和43年8月29日(木)曇り時々強風(ロンドン見物)
 今朝も同じ時刻に腹が痛くなって来た。これで5日間連続であった。朝が来るのが恐ろしくなって来た。明日こそ治っているであろうと朝食を申し込んでおいたが、三度朝食は、取れなかった。今朝もベッドで40分間位、激痛が治まるのを我慢した。
 最近、満足に食事が取れない状態になってしまった。取れたのは、シーラやジャネットの家の夕食だけであった。近頃は日本に居た時の一食分のカロリー摂取量であろう。食べたくても食べられないのだから、仕方なかった。
 今日はウェールズへ行く前の日であり、彼女と会う約束はなかった。今日は何処へ行こうか、市内地図を広げて思案した。そしてピカデリーサーカスやトラファルガースクウェア等のある繁華街の東側、テムズ川の左岸一帯The City(シティ)へ行って見る事にした。今日もどんよりした空模様であった。出掛ける前にユース近くのカフェ店で朝食を軽く取った。おかしな事に、この時間帯を過ぎると腹の痛みは、治まった。
彼女にロンドン観光で最初に連れて行って貰った中央郵便局の建物があるこの一帯がシティで、イギリスの商業、経済の中心地。銀行、証券取引所等が集中している街並みを見ながらLondon Bridge(ロンドン橋)へ行った。この橋はロンドン最古の橋、まるで城塞の様であった。橋は結構長く、渡っている時に強風に煽られた。8月の夏であるのに寒く、間もなく冬になる様なそんな天候であった。しかも雲は低く垂れ下がり、寂しい陰うつさを感じさせられた。橋を渡っている人々はコートの襟を立てて、足早に去って行った。彼女の話しによるとこの橋は、アメリカの観光会社に売られる、と言っていた。
ロンドンブリッジの上流にTower Bridge(タワーブリッジ)があるので、そこへも行った。最近この橋は、交通量が多くなって来たのと、テムズ川が浅くなった為、大きい船は通る事が出来ないので、橋の開閉はないらしい。橋の袂に古い大砲が並べられ、ロンドンの歴史をひしひしと感じさせられた。
 次にThe Tower(ロンドン塔、又はタワー)へ行った。タワーブリッジの隣に位置し、昔のお城である。王宮・政治犯の牢獄として使われていたが、現在は観光スポットであり、一部が博物館に使用されていた。タワーに着くと凄い衣装を着たビーフィーター(タワーの衛兵)が迎えてくれた。彼等は、真っ赤な外套服みたいなものに金モールを縫い取付け、真っ赤な股引の様なズボンを履き、黒の山高帽子を被り、黒の靴、そして腰には剣をぶら下げていた。バッキンガム宮殿の衛兵の方が格好良かったし、こちらの衛兵は年配の人が多かった。タワーに入るのに2シリング払った。 
 帰り際にユースの近くのカフェ店でコーヒー、フィッシュアンドチップス、それにパンで夕食を取った。日本食を腹いっぱい食べたい今日この頃である。
 夜、彼女に明日の確認の為、ユース前の公衆電話から電話を掛けた。最初、彼女から教えられた電話番号(SPEEDWELL1059)を掛けても通じないので困っていたら、電話を掛けに来た紳士に掛け方を教えて貰った。

                                
                           △イギリスの代表的な料理フィッシュアンドチップス