YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

二度目のパリにて~友達への西欧を旅して1ヶ月間、その取留めのない感想の手紙の話

2021-08-20 09:49:24 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
・昭和43年8月20日(火)晴れ(シーラへ会いに行く旨の手紙を出す)  ~今日はマサオの部屋でゆっくり休んでいた。

・昭和43年8月21日(水)晴れ(パリ観光して過ごす)

・昭和43年8月22日(木)晴れ(パリ観光して過ごす)

*友達への西欧を旅して1ヶ月間、その取留めのない感想の手紙の話

 今、私はパリに戻って来ました。共産圏のソ連を出て、自由に旅が出来るようになって1ヶ月が経ちました。私はパリに来てフレンドリーなマサオに会って本当に彼にお世話になりましてその後、西欧列車の旅をしました。その間に2度、腹痛に悩み苦しみましたが、無事に再びパリに戻って来られて、本当に良かった思います。
 この列車の旅で、私が使った金額は100ドルでした。1日平均3.3ドル、勿論ビールやタバコも買いました。観光はなるべく歩いて行き、市電やバスはあまり使いませんでした。それでも1日約千円で西欧一回り旅をする事が出来ました。倹約旅行するが私の持論ですので、1度も一流二流ホテルやタクシーを使いませんでした。これからも又、使うつもりはありません。今後とも、これを私の旅の信条として、貫いて行きたいと思います。歩く事によって街の様子も分かったし、その街を肌で感じる事も出来ました。大体、ヨーロッパの都市・町は狭いので、パリを除けば、殆んど歩いて観光が出来ました。
先進ヨーロッパ諸国は、日本より物価が高かった。特に、北欧では日本の5~8倍(酒、タバコは10倍)もしたのに、私が如何して「1日3.3ドル」で旅行が出来たか、もう少し話をしたいと思います。先ず、泊まる所は基本的にユース、さもなければ安いホテルかペンションでした。北欧以外、探せば700円以下で泊まれるホテルがありました。又、ユーレイルパスを持っていたので夜発って、目的地に朝到着と言ったケースが何回かあったので、結果的に宿泊費用が節約出来ました。
 次に食事を切り詰めました。例えばストアでパンとその他を買って済ませるとか、或は立ち食い専用のスタンドでホットドッグの様な、そんな簡単な軽食で済ませた事もありました。しかし、ビールは割安感があり、マドリード、ローマ、ウィーン、ミューヘンでは『飲みたいなぁ』と思った時、結構飲んでいました。 
話は変わりますが、ヨーロッパの何処の国へ行っても、ラジオ、カメラ、自動車、オートバイ、おもちゃ等の日本製品が見る事が出来ました。ドイツのカメラも優秀であるが、それと対抗してメイドインジャパンのカメラが陳列されているのを見ると、何か日本を誇りに感じさせる気持になりました。日本にいた時、日本製品が広く世界に輸出されている事は聞いていたが、私のその認識は薄かったが、外へ出て見るとその事が肌で感じさせられました。
 日本の発展の背景には、戦後の廃墟から立ち上がる為に又、「欧米に追い付け追い越せ、働け、働け」と日本人は喰うのも儘ならずの貧乏が故に働いて来ました。そして日本人の「労働は美徳」の教え等が一般的傾向でした。私はアムステルダム発のTEE列車内で知り会ったオランダ人が言っていた事が思い出されます。それは、「日本経済の発展振りは恐ろしい。後何年かでヨーロッパ経済を席捲しまうのではないか」と。
 欧米人から恐れられる程に経済発展して来たのに、その〝パイ〟(利益)は、我々の賃金にまだ還元・見返りがなく、労働者の平均月収が3万円前後で生活が苦しいのが現状であります。又、賃金・労働条件とそのパイを比較して、「日本はアンフェアーである」と言う欧州人の意見もありました。日本の労働者はこの辺で一旦立ち止まり、よく考え、心のゆとりが持てる為に長期休暇が取れる、そんな生活をエンジョイ出来るように取り組むべきではなかろうか。労働者の汗と苦労の結晶で成し得ている経済発展とその利益を労働者の生活の向上・エンジョイが出来るように、労働者はもっと要求する権利を有している、と私は思うのです。過ってある職場のあるボスが、この様に言って職場を去って行った事が思い出されます。それは、「皆は会社の枠内で行動しなければいけない。〝外〟(他の会社や欧米の状況)を見ては駄目だ」と。しかし先程述べた視点から、日本人も世界的視野を持って考え、行動しなければいけないと思うのです。
所で、西ヨーロッパは、何処へ行っても思ったより美しかった。整備された公園、歴史がある建物、明るく落ち着いた感じの街、緑いっぱい豊かさが見られる農村地帯等、何処へ行っても絵になる光景でした。老若男女の市民が公園で思い思いに過ごし、楽しんでいる光景をたくさん見掛けました。中には、1日中ユッタリと過している人達もいました。彼等は肉体的にも精神的にも休養が与えられている、休養を取り得る権利を有しているように見えた。そんなヨーロッパを私は肌で、心で感じました。その為にも私は歩いて行ったり、ヒッチをしたり、田舎駅を降りてみたりと倹約旅行して来ました。
 スイスの山を40万円で行って来られるし、度胸があれば片道13万円でヨーロッパは、自分の物になる、とある旅人の話もあった。実際に色んな想いでこちらに来た学生、或いは退職、休職して来た若者に私は出逢いました。そして一応に彼等は、「ヨーロッパは、来るそれだけの価値ある所だ」と言っていました。
 今、パリのマサオの部屋でこの手紙を書いています。8月24日にイギリスへゴールデンアロー号で行きます。私は本当にこちらに来て良かったと思います。元気でいて下さい。