YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

マタロ、セルベール、サボーナ、ピサの旅~おばさんに怒鳴られるし、腹痛に苦しむしし、もう最悪

2021-08-09 10:18:34 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
△ピサ大聖堂の鐘楼(PFN)

・昭和43年8月9日(金)晴れ(おばさんに怒鳴られるし、腹痛に苦しむしし、もう最悪)
 
 サボーナの街へ散策に出掛けた。朝食(パン、野菜サラダ、コヒー)を取ったばかりなのに、お腹が空いていた。それは当然であった。昨日の朝、軽食を食べてから夕食にパンと果物を食べた以外、今朝まで満足に食べていなかったのだ。
街に出かけ途中、屋台で売っていた果物を買って食べながら歩いていたら、今度はスイカを切り売りしている屋台があった。1切れ70リラ(42円)なので、試しに買ってみた。冷たくて美味しかった。その屋台のおじさんに、安いレストランを尋ねたら場所を教えてくれた。
 そろそろお昼になったので、教えて貰ったその店に入った。店内は感じが良く、600リラで野菜料理、スパゲテ、肉料理、パンの料理を注文した。イタリアでは値段的にも量的にも普通の食事であったが、私にとっては贅沢であった。『でも時には栄養を取って体力を付けなければ』と思って注文した。料理が出て来たが、腹が空いているのに食欲が湧いてこなかった。それのみならず、何だか吐き気がする感じもして来た。にもかかわらず無理してスパゲテを3分の1、肉を1切れ、野菜料理は全部食べた。残りの肉はパンに挟んで貰って店を出た。
 店を出た途端、店の前で今食べた物を吐き出してしまった。そしたらレストランの人がすっ飛んで来て、何だか訳の分らないイタリア語で怒鳴られてしまった。昼間から店の前に吐いてしまい、恥ずかしかった。「アイム・ソリー」と言ってその場を逃げるように立ち去った。
私は他の店の横で再び吐いてしまった。分ってしまったのか、店の太った中年女性が出て来て、再び凄い剣幕で怒鳴られてしまった。私は一目散に逃げるだけであった。腹は痛くなって来たし、吐き気はするし、腹は空いているが食べられないし、600リラ損するし、2度も怒られるし、もう最悪の状態であった。
 腹の調子が悪くなるのも、無理はなかった。今まで20年以上、日本食を食べて来たのに、7月13日を境に日本食から洋食に、そして2日から3日程度で国が違う食べ物を食べて来た。しかも、栄養・量とも充分でないし、食事を取らない時も多かったから、腹の調子がおかしくなってしまったのか。その他に思い当たるとすれば、セルベールで買ったパック牛乳をホテル自室で飲んだ所為か、それとも今朝、頭痛がしたのでノーシンを服用するのに自室の水道水の〝生水を少し飲んだ〟所為なのか、これだと言うはっきりした原因は分らなかった。因みに日本出国前から西欧、特にイタリアの水道水は衛生・安全面から飲まない方が良い、とガイドブックを読んで承知していた。それなのにあれ程注意していたのに、少しだからと油断してしまったのか・・・。
 午後2時15分、サヴォーナ駅から各駅停車のローマ行きの列車に乗り込んだ。乗ってからも暫らくの間、胃が痛いと言うのか、むかつく感じで腹の調子は最悪であった。
 6時30分頃、やっとユースがあるPisa(ピサ)に到着した。体調が悪くお腹を押さえて寝転んだ状態での各駅停車の旅は、ゆっくり楽しむ雰囲気でなかった。ユースは駅から1.5km、歩いて20分程度なのに何回も尋ね、やっと着いたにも拘わらず満員で泊まれなかった。ユースの人が他のペンション(宿泊代800リラ、食事なし)を案内してくれた。今日は日本を出国して以来、最悪の日であった。
明日になったら治っていますように、と願いながら寝た。