2015/05/03 近鉄大阪線・河内国分駅から近鉄南大阪線・藤井寺駅までの『大阪夏の陣(小松山・道明寺合戦)跡』を散策してきました。
<散策コース>近鉄大阪線・河内国分駅下車・・・片山神社・・・奥田三郎右衛門墓・・・大阪夏の陣小松山古戦場跡碑・・・大阪の陣供養塔・・・後藤又兵衛基次の碑・・・玉手橋・・・碓井八坂神社・・・誉田八幡宮(誉田林古戦場址)・・・薄田隼人正兼相墓・・・道明寺・・・道明寺天満宮・・・近鉄南大阪線・道明寺駅
▼近鉄・河内国分駅 ▼徳川軍の精鋭部隊
▼片山廃寺塔跡之概要
▼片山廃寺の塔の基壇 ▼片山神社
徳川軍の奥田三郎右衛門は、小松山に陣取った豊臣軍の後藤又兵衛隊に真っ先に攻め上がってきて、戦死した。
▼奥田三郎右衛門の墓
▼大阪夏の陣・小松山古戦場跡碑
①小松山の戦い・・・慶長20年(1615年)5月6日の未明に豊臣軍の先陣、後藤又兵衛基次隊が河内国分に集結する徳川軍の大軍をめがけて突入し、奮戦して後藤又兵衛基次は討ち死にした。
▼玉手山七号古墳
▼大阪夏の陣古戦場の概要
▼大阪夏の陣徳川・豊臣両軍の戦死者の供養塔▼後藤又兵衛基次の碑
玉手橋は、柏原市と藤井寺市の境にある石川に架かる歩道橋で、長さ151mの吊り橋です。平成13年(2001年)には、吊り橋として全国で初めて国の登録有形文化財に指定されました。
▼玉手橋(国の有形文化財)
▼豊臣軍の鉄砲隊 ▼豊臣軍の精鋭の真田幸村隊
▼碓井八坂神社と井徳院址の概要
▼碓井八坂神社 ▼碓氷八坂神社のイチヨウの木
▼燈籠 ▼誉田八幡宮
▼誉田八幡宮の概要
②道明寺の戦い・・・慶長20年(1615年)5月6日、石川を渡って進む徳川軍に、豊臣軍二番手の薄田隼人兼相(すすきだはやとのかみかねすけ)隊が立ち向かい薄田隼人兼相は討ち死にした。
③誉田の戦い・・・慶長20年(1615年)5月6日、徳川軍の伊達正宗が勢いをそのままに、応神天皇陵の南から西へ回り込もうとしたところを豊臣軍三番手の真田幸村隊が応戦した。
①と②と③の三つ戦いは、『道明寺合戦』と総称されます。
▼薄田隼人正兼相の墓
▼道明寺の概要
▼道明寺
▼道明寺天満宮
菅原道真・天穂日命・覚寿尼をまつる由緒ある神社。菅原道真を輩出した菅原氏は土師氏(はじうじ)の一支で、天穂日命は古墳造営を担った土師氏の祖神です。菅原道真公の伯母である覚寿尼は土師寺の尼僧で、土師寺には社殿と仏殿が並んでいましたが、明治維新の廃仏毀釈命で離され、今では道明寺天満宮と道明寺が東高野街道を隔てて並んでいます。
▼道明寺天満宮 ▼大阪夏の陣道明寺合戦記念碑
(近鉄・道明寺駅前)