今井町は戦国時代の16世紀前半頃に一向宗(浄土真宗)の門徒が中心となって形成した寺内町です。1570年代には大阪の石山本願寺を中心とした一向宗門徒と織田信長との抗争が展開し、今井も本願寺側として織田信長勢に対抗しました。今井は1575年に織田信長に降伏しており,降伏時の赦免状が称念寺に残されています。降伏の際にその証として軍事的防衛の濠が埋められました。その後、天下を治めた豊臣秀吉の世には再び濠を巡らし、徳川家康の庇護も受け、江戸時代には町人の財産を守るための環濠集落の商業都市として発展を遂げていきました。「大和の金は今井に七分」と言われるほど繁栄しました。今井町には江戸時代の古い家屋や街並みが今も多く残されています。平成5年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
[所在地:奈良県橿原市今井町]
<アクセス>近鉄橿原線・八木西口駅下車西へ
▼今井・寺内町の概要
▼称念寺の概要
▼称念寺(今井御坊)・・・今井町の中核となった寺院で寺内町の形成、発展を支える町政全般の拠点でありました。明治10年、明治天皇の畝傍御陵行幸のときの行在所となりました。
本堂は国の重要文化財である(現在解体修理中)
▼今井の街並み
▼今井の街並み
▼今西家住宅の概要
▼今西家宅(国の重要文化財)
▼今井の街並み
▼環濠の濠
▼現地調査より濠は、内濠と外濠が有り、外濠の幅は、11m~14mあった。
2014/11/30 訪問