室町時代に美作の守護であった山名忠正が津山盆地の中央に位置する鶴山に築いた鶴山城は、慶長8年(1603年)、18万6500石で美作に入封した森忠政(森蘭丸の弟)が地名を津山と改め築城を開始し、津山城として生まれ変わった。
津山城は、周囲の河川や断崖を天然の要害として利用したうえ、本丸・二の丸・三の丸を階段状に配する「一二三段」と呼ばれる縄張りと幾重にも積み重ねられた急勾配の石垣が特徴で、5重の天守を中心に、多数の櫓で武装された実践的な防備を施した平山城であった。
明治に入り、明治6年(1873年)の廃城令で建物は全て取り除かれたが、現在、鶴山公園として整備され、備中櫓・太鼓塀等が復元された。桜の名所としても知られている。
[所在地:岡山県津山市山下135]
<アクセス>JR津山駅下車北へ徒歩約10分
▼津山城の概要
▼森忠政公の像
▼森忠政公のプロフィール
森忠政は、慶長8年(1603年)に岡山藩主小早川秀秋のお家取り潰しにともなって、信濃海津城から津山城に入城した。
▼津山城の略図
▼表中門
▼「三の丸」から「二の丸」に行く石段
▼備中櫓
▼本丸から見た備中櫓
▼後塀(手前)と備中櫓 ▼鉄砲狭間
▼城内の桜
▼備中櫓から見た眺め
2018/04/07 訪城