この辺りには、鎌倉時代の末期より関東御家人の居館があった。加藤七郎景助が、下野(栃木県)の足利尊氏に仕え、以後代々足利氏の家臣として室町時代に及んだ。そして加藤景助の五代孫の加藤景親が、摂津河辺郡伊丹の城主となり、その子孫ここに住んで、その地名の伊丹を性とした。室町時代、戦国時代通じて居館は拡充され、文明4年(1472年)には、小天守を持つ平城となった。天正2年(1574年)11月5日に織田信長の命を受けた荒木村重によって伊丹城は、攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修して有岡城に改称した。荒木村重は、有岡城主で摂津一国を任されたが、天正6年(1587年)11月毛利を通じて謀叛を起こす。,荒木村重方は、有岡城に龍城し、織田信長軍の攻撃を堅固な防衛を活かして1年余り持ちこたえたが、翌天正7年(1579年)12月遂に落城することになる。天正8年(1580年)池田之助が城主となるが、天正11年(1583年)池田之助が美濃に転封となり羽柴秀吉の直轄地となって、有岡城は、廃城になる。明治26年(1891年)鉄道敷設のため,当城東側が破壊される。現在、本丸部分は整備されて国の史跡の史跡公園になっている。
[所在地:兵庫県伊丹市伊丹二丁目]
<アクセス>JR宝塚線(福知山線)・伊丹駅下車すぐ
▼有岡城跡碑(国の史跡)
▼本丸跡 ▼本丸跡
▼有岡城石垣
▼遺跡建物跡 ▼井戸跡 ▼井戸跡
2013/05/23 訪城
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◆伊丹氏
猪名川と武庫川間の伊丹段丘に築かれた伊丹城(伊丹市)。鎌倉時代末期、御家人の伊丹親盛が名をとどめていた。後、織田信長が畿内を制すると、天正2年(1574年)織田信長家臣の荒木村重が伊丹氏を追放して伊丹城を奪い、改築して有岡城とした。
摂津の国人と配置図