戦国時代の長亨2年(1488年)、加賀の一向一揆が守護富樫政親を滅ぼし、分家の富樫泰高を名目だけの守護とした。こうして、実質的に加賀を支配するようになった。加賀一向一揆は、ほどなく、隣国越前の朝倉氏と対立するようになった。小松城は、加賀一向一揆が自衛のために築いた城である。元和の一国一城令で廃城とされたが、寛永16年(1639年)、第3代金沢藩主・前田利常が隠居城とするために整備された。広大な池に小さな島が点在するような立地で、その島々を一つの曲輪とし、それぞれをつないで縄張りとした。本丸には石積みによる天守台が築かれ、数寄屋造の天守が建てられた。以後明治の廃城令まで存続した。現在、天守台の石垣だけが当時の面影を残す。
[所在地:石川県小松市丸の内]
<アクセス>JR北陸線・小松駅下車徒歩約20分
▼小松城の概略図
▼石垣
▼天守台石垣
▼天守台石垣
天守台は南辺10間余り,東辺9間余りである。
2016/11/16 訪城