高松城は、 天正15年(1587年)に、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、天正16年(1588年)から香東郡野原庄と呼ばれていた現在地を高松と改め築城した平城(海城)です。瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本の三大水城のひとつです。寛永17年(1640年)に御家騒動で讃岐一国を召し上げられ、出羽国(秋田県)矢島1万石に移されました。この後、寛永19年(1942年)に常陸国(茨城県)の下館藩主だった松平頼重が東讃岐12万石の領主として入城しました。松平頼重以降、松平の治世は、228年続き明治維新を迎えました。明治の廃城令で大半の建物は解体されましたが、重要文化財の月見櫓、良櫓と共に石垣や堀等が残り、昭和30年(1955年)には国の史跡に指定されました。
[所在地:香川県高松市珠玉藻町]
<アクセス>JR高松駅から徒歩約3分。
▼高松城の概要
▼高松城の略図
▼二の丸 ▼内堀
▼内堀
▼水門の概要
▼水門
高松城は、堀が海とつながっているので、潮の干潮による水位調整のため水門が設けられています。
▼天守閣跡
明治17年(1884年)老朽化のために、天守閣は、取り壊されました。
▼天守閣跡
▼サヤ橋とは。
▼サヤ橋
本丸へ続く唯一の通路である廊下橋(サン橋)長さ16間(約30m)の木橋で、屋根が掛けられていた。屋根は当初からではなく、松平時代に設けられた。
▼月見櫓[重要文化財]
月見櫓は、延宝4年(1676年),に築かれた三重櫓。北の丸の隅櫓として船の出入りを監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので「着見櫓」ともいわれています。
▼良櫓(よしとらやぐら)[重要文化財]
良櫓は延宝5年(1677年)に築かれた三重櫓。もともと東の丸の北東の隅にあった櫓で、旧太鼓櫓跡に昭和47年(1972年)に移築されました。現存する月見櫓より平面の規模は少し大きい。
▼披雲閣庭園
2015/04/03 訪城
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◆生駒親正 (1526年~1603年)
生駒氏は、大和国生駒荘出身で室町時代に東海地方へ移った。織田信長、豊臣秀吉の家臣として、金ケ崎の戦い、長篠の戦いに参陣。天正16年(1588年)に生駒親正が讃岐一国の領主となったが、曾孫・生駒高俊の代に御家騒動で領地没収、転封。