正覚寺城は、文明14年(1482年),河内守護の畠山政長が、河内国平野の正覚寺に陣を構えて畠山義就と対陣した。このことが正覚寺が城郭化する発端となった。畠山義就病死後は河内を平定に乗り出したが、明応2年(1493年),正覚寺合戦の際、畠山義就の子畠山義豊に敗れて自害し、正覚寺城は炎上し落城した。天正5年(1577年)、織田信長の石山本願寺攻めの際に織田信長が本陣を構えた場所でもあります。旭神社が城跡(本丸跡)です。ここから東に約200mに正覚寺跡や畠山政長の墓があります。
[所在地:大阪市平野区加美正覚寺1丁目(旭神社)]
<アクセス>JR大和路線・平野駅下車東へ約600m。
▼旭神社
▼旭神社境内 ▼正覚寺城跡の碑(旭神社境内)
2014/11/19 訪城