恩智城は、建武年間(1334年~1338年)に地元の郷士、恩智左近満一によって築かれた。 自然の高地を利用した城郭で、高安連峰との間に堀をめぐらし前方に大阪平野を一望のもとにおさめた。堀の中にかっては小島があったがそれはむかしの一の丸で現在の城址は二の丸址という。恩智左近は河内国二宮恩智神社の社家の後裔で、南北朝期には楠木正成・楠木正行に従い『楠公八臣』の一人に数えられ、千早城の龍城戦や飯森山城攻めにも参戦活躍している。正平3年(1348年)、四条畷の戦いで楠木正行が戦死し恩智城も落ちた。学制領布のとき小学校が新築され、今では恩智城址公園として整備され、桜の名所として知られています。
[所在地:大阪府八尾市恩智中町5]
<アクセス>近鉄大阪線・恩智駅下車徒歩15分
西下から訪城へ ▼恩智城址の碑(右側)
▼南高安小学校(旧恩智小学校)赤レンガ造りの正門
▼主郭 ▼恩智城址の碑
▼恩智城の概要
▼恩智城址公園(東下の公園) ▼二の丸跡
2018/5/4訪城
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『恩智左近の墓』と記された道標がありましたので、お参りに行きました。
恩智城址の西下へ階段をおり、北西側に約100m降りていくと恩智左近の墓がありました。墓は地区の人々によって管理されていました。
▼恩智左近の墓
▼恩智左近の墓(恩智左近の概要)
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最後に、恩智左近満一は、恩智神社の社家の出の郷士(土豪)ですので、恩智神社に参拝して帰りました。
▼恩智神社の参道
▼恩智神社
▼恩智神社の概要