文楽の地方公演が宇都宮へやってきました。
人形浄瑠璃はぜひ生で観たかったですし、なんとたったの三千円。
うれしいですね~。
演目は『伊達娘恋緋鹿子』と『生写朝顔話』でした。
やっぱりすごいです。
何なんでしょうね。
絶対に人形なんですけど、そうは思えなくなってきます。
ある意味、人間より人間らしい動きと言いますか。
一体の人形は、主遣い(右腕と頭)、左遣い(左腕)、足遣い(足)の、三人で動かしています。
でも、とても三人で動かしているとは思えないほどの一体感。
すごいですね~。
観ていると動かしている人は見えなくなります。
男性しかできず、長い経験が必要なので、娘役の主遣いがお爺さん、ということになるのですが、変ではないんですよ。
あれ、無表情だから気にならないのでしょうか。
もし後ろで感情移入のあまりすごい表情してたら、きっとものすごく気になりますよね。
役の喜怒哀楽とは一線を画すといいますか、「俺の仕事は演技じゃなくて、人形に命を吹き込むことだぜ。」という感じでやっていらっしゃるように思います。
でも、劇の状況と無関係なその冷静さがけっこう面白いです。
『生写朝顔話』では最後、主人公の盲目な娘「朝顔」が、生き別れた恋人を追いかける場面があります。
修羅場ですね。
朝顔はすんでのところで恋人と行き違いになったことを知り、後を追います。
髪を振り乱し、必死に走る朝顔。
冷静な顔の主遣い。
危ないから!と止めに入った宿の人をはね飛ばす朝顔。
それでも冷静な主遣い。
なんかすごく痛そうな宿の人。
こっちも冷静な主遣い。
増水した川に阻まれ、怒り狂う朝顔。
やっぱり冷静な主遣い。
絶対に楽しみ方間違っています。
間違っていますが、この対照的な感じはかなり面白いです。
本来感情のある人間が控え、人形があたかも感情があるように動く。
二度手間なのにあえて人形でやる所に面白さがあるのでしょうか。
文楽のすごさは人形遣いだけではありません。
太夫の魅力はもう書き切れませんね。
老人から娘まで、ひとりで演じ分けます。本当にすごいです。
古い言葉で理解できないところもありますが、それを上回る表現力。
・・・すごい。ものすごい。感動です。
百聞は一見にしかず、です。
ぜひ一度、劇場へ足を運んでみてください。