「三ツ舞(扇)」。法被のポケットに入れていたみかんの皮を剥き、2房ずつ各舞子の口に入れた。
今年も僕は「榊鬼」の伴鬼であった。人も少ないし、榊様のお伴が光栄である。いつもは「三ツ舞(やち)」の途中位までは舞庭にいれたが、今年は扇の途中で神部屋に呼ばれた。「山割鬼」の伴鬼の人もいつもより早く神部屋に招く様に言われたので、時間に余裕をもたせたかったみたいである。とにかく、装束の支度が忙しい。上下着衣だけでなく、たすき、帯など色々なものを着けるので。いつも緑の鬼をやっているが、今年は赤にした。わらじの紐がビニールに変わっていて、締めやすかったのと、ソフトな肌触りで指の間がこすれなくて快適だった。お役目待機でその少年の舞は見れなかったけど、「三ツ舞(剣)」の舞子の1人である高校生が吹奏楽部でトロンボーンを吹いているそうで、演奏会のチケットをお母さんからいただいた。昨年もその場では誘われたんだけど、情報の行き違いで演奏会に行けなかった。拙ブログで僕がクラシック音楽に興味持っていることを知ってくれているので、声を掛けてくれた。行くつもりである。
いよいよ出番となった。緑鬼の後に出た。Iさんのお連れさんが引き受けてくれた。しばらく舞っていたら照明が暗くされ、親鬼様が登場した。面の穴から親様を見入る。問答には「我らがことにて候」とあるので、自分も含まれている。今年は意識、気力がしっかりしていた方なので、頑張って舞ったつもりである。
神部屋に戻り、装束を脱いでから車に仮眠しに行った。神部屋から出たら、親鬼様のKさんが外でたばこを吸っていて、カッコ良かったなあ。
始まりが早く、それがそのまま進行の良さに繋がったので、「茂吉鬼」の伴鬼のスカウトに間に合う様、早く仮眠を切り上げた。やはり進んでいて、「花の舞(別舞【一】)」が終わるところだった。当地区は一力花として朝に幼児の「花の舞」を行なっている。小さい子どもにとっては、深夜に務めるよりその方がいいだろう。続いて「四ツ舞(やち)」。今年は「四ツ舞」以降の舞子を揃えるのが大変だった様で、豊川の花祭り好きな少年H君や、自分と近い歳であろう人が舞子になっていた。H君は舞もできるし、凄いなあ。笛も吹いたりして協力してくれた。
採物を剣に替える。大人の舞はぶっつけ本番なので、その場で次の所作の確認があったりした。ところどころで休憩が入るけど、ゆったりした進行が下粟代の時間の流れっぽい。
「花の舞(別舞【二】)」。
「茂吉鬼」の伴鬼もすぐに揃えられた。どう、この腕?(笑) まあ、東栄町内の少年2人だったり、アテにできる人がほとんどで、「やってもらえるだろうか?」と声を掛けて応じてもらったのは、この舞で引き受けてくれた名古屋の人だけだったけど。でも、花祭り訪問自体初めての人だった。神部屋に2人別々で案内したけど、女の子が外で「じじい」と連呼してた(苦笑) この後「翁」が始まった。
「翁」では太夫さんの問答があり、翁が舞をするには太鼓、笛、見物客に礼をし、許可を貰ってからではできないと言われ、翁は礼をし、皆がそれに応えた。僕も見物客へのお礼で拍手にて応えた。
許しが出て、翁は舞うことができた。
最後の盛り上がりどころである「湯ばやし」。竃の水を一度抜き、お滝の水が入れられた。
その後、僕がホースを持って再び水を入れ、竃に火が入った。
舞が始まった。
昨年は湯温の調整のタイミングが悪かったので、せいと番の人と共にタイミングに気を付け、用意をした。さあ、もうすぐ湯が撒かれるぞ。
蓋が外され、舞子が外の方まで湯を撒きに行った。
下がビショビショになるので、むしろを敷きつめる。その後、「茂吉鬼」。
親鬼様が登場し、蜂の巣、祓い銭を狙っている人もスイッチが入った様(笑) 前の二舞に比べて速いテンポの舞である。中在家の人が長い時間囃していて、アツかったなあ。
さあ、どこに蜂の巣が飛ぶか?
今年は出入口側に飛んだ。だいたいの年は見物の座の方なんだけど。
すると、見物の座で幼児が鉞を持って舞を始めた。上手い舞で、花祭りの里の血の流れが現れていた。伴鬼が去った後に舞庭に出て、舞を披露してくれた。
「獅子」。力強い足踏みがある。
先導に獅子が覆い被さり、かまけわざ。
「獅子」でも湯が撒かれるが、熱かった。来年からはここも湯温の調整をしないと。
舞が終わると、神返しが行なわれるとともに片付けが同時進行する。外では「宮渡り」など。
中では「五穀まつり」など。
僕は片付けの手伝いを中心にし、合間に神返しを撮影、見学した。外の神棚はちょっと前に片付けが楽な様に改造され、下に滑車とレールがあり、屋根などをしまった後に花宿の方に押すと物置みたいに見え、見栄えも悪くない。
「しずめ」。
太夫さんが面を外し、箱に納めた。
「しずめ」で使われていた空間の片付けをした後、ご苦労振舞いがあった。僕も最近は呼んで下さり、ありがたい。太夫さんへのお礼、会計報告などが行なわれた後、和やかな会食が始まった。豆腐の汁物が美味しかった。
会食が終わり、地区の皆さんと挨拶を交わし、車に戻った。太夫さんが「蒲郡農林水産まつり」に来るそうである。地元で東栄町、豊根村の人と会えるのが楽しい。仮眠の後、帰宅した。今年も楽しい時間を過ごさせてもらい、交流できて感謝である、
残るは布川地区である。お見舞いに来ていた布川地区の人から、昨年僕がいなかったことで「なんで来なかったんだ?」があったそうで。一応、フェイスブックを通して「インフルエンザで行けないことを伝えて欲しい」とお願いしたんだけどね(汗) 行けなかったもどかしさもあるし、体がキツかったので、この冬は予防接種をした。予防接種も完璧ではないし、他の病気、怪我にも気を付けなければならない。健康、身体無事で布川地区の花祭りの日を迎えよう。