マイクロバスは最初に人気どころであろう「ウェザーステーション展望台」に寄った。クジラのブロウやブリーチングが見られ、夕日の鑑賞スポットだという。海が荒れてるからか、クジラはガイドさんが「見えた」と言った回数が少なかったし、僕は見れなかった。
宮ノ浜。
罠にグリーンアノールがかかっていた。昆虫などを食べる、小笠原で代表格の生態系に影響を与える外来種である。
これはアリの駆除の罠らしい。
「長崎鼻展望台」。
「初寝浦展望台」。ネットやガイドマップにある写真で、ここの写真が一番綺麗だった。晴れてる時に来たかった。
展望台手前にある旧日本軍の発電所跡。小笠原にはこの様な戦跡がいくつもあり、ツアーもある。
JAXAの施設にも寄った。観光スポットとしては案内されてなかったから、こういう施設があると知らなかった。
小港海岸。
徳之島の「犬の門蓋」みたい。
父島が海底火山活動でできた島であることが分かる、枕状溶岩。
八ツ瀬川の河口は砂でせき止められている。今日の朝食時に島の人が来て、この川には大ウナギがいると言っていた。
ぼんぼりみたいな実を付けた木。「ハスノハギリ」というそう。
都最南端のバス停。ということは、母島には路線バス無いんだ。ちょうどバスが停まっていた。ロータリーになってて、駐車場が無いからツアーのバスはここでお客さんの乗り降りをするんだけど、運転手は降りずに車が来たらロータリーを廻る。
これにて観光は終了し、バスは事務所に戻った。結構いろいろなところを廻ってくれたけど、やっぱり原付で自由に廻りたかったなあ。
まだ夕食まで時間があるので、大村地区をブラブラした。アメリカ統治中の学校があったところは公園になっている。
公園を抜けると綺麗な海岸がある。
ツアーのバスが出発してすぐに通過した協会。
海上自衛隊の施設があるけど、軍事施設だから写真は載せません。
小中学校。観光スポットは無いので、生活感ある通りだった。
都の総合庁舎。
警察署はカメラを向けるのがいやらしかったので撮影せず。
村役場。
お土産をもう買っておいた。「フリーショップ まるひ」というところで買ったけど、文房具も売っていて、年度が替わって子ども達がノートを買いに来ていた。なんか、不思議な空間だった。
一旦宿に戻ってお土産を置き、釣りの氷を買いに生協に行った。
今日の夕食。おかずはこれ位の量がちょうどいいな。昨日も今日も、釣りのために夕食時はお酒を我慢。なんか、昨日も今日もパセリが多いんだけど、栽培していて採れ過ぎたのかなあ?(苦笑)
そして釣りへ。波風穏やかだった。仕掛けを投入すると、なぜか底に沈まない。「おかしいなあ?」と思ったら、サビキカゴのオモリが無くなっていた。2個150円の安物は駄目だなあ。ナス型オモリがあったので、カゴに付けた。小魚が突っついたり、「オジサン」と呼ばれる魚が来ただけ。宿のご主人が9時までなら魚を受け取ってくれると言ったので、ギリギリまで粘った。釣り日和は釣れるという訳ではないことを実感した(苦笑)
食堂にご主人が仕事をしている姿があった。僕が魚を持ってくるのを待ってくれてるかもしれないので、釣れなかった旨報告しておいた。
我慢していたお酒を飲み、就寝した。明日もツアー中止となったらやだなあ・・・。
風と雨の音で目が覚めた。窓の外を見ると、結構強く雨が降っていて、山の方が白くなっていた。今日は陸のツアーで一番人気らしいハートロックツアーを予約してあるのに・・・。なかなか止まず、もう中止だろうなと思った。とりあえず、昼食の弁当を買いに近くの店に行った。
朝食をとりに食堂へ。ダイビングの予定という女性は、出航を遅らせる連絡があったという。海なら雨はあまり関係ないだろうから、霧のせいかな?波だったら、急には収まらないだろう。食べ終えたら部屋に戻った。じきにツアー業者から中止の連絡が来た。業者のHPの予定表で、明日は森の1日ツアーとなってたから、そちらに振り替えた。後で「ハートロックツアーを実施する業者にすれば良かったかも」と考えたけど、地面がまだぬかるんでるかもしれないし、明日も雨の予報なんだよなあ。明日予定していた島内観光を今日することにした。やがて雨は止んだけど、観光スポットはほとんど展望台で視界が悪いだろうし、原付を借りるつもりだったけど、業者が天気のことで貸すのを渋るかもしれないので、どう動こうか迷った。とりあえず外に出てみた。父島から色々な島への方向、距離を示す矢印形の板が付いている柱。硫黄島は太平洋戦争の戦地だし、沖ノ鳥島はEEZ(排他的経済水域)を守るために必死に浸食を防ぐ工事が行なわれている島なので、無人島でも名前は知っていた。沖ノ鳥島はさらに千キロ近く離れてるんだ。
メインストリート。
もうマイクロバスの島内観光にしようと、「小笠原観光」に行った。原付もここで借りられるのだが。バスツアーは天気が悪いから午前は中止で、午後になるという。申し込みした。また、ここに明後日午前の海ツアーを予約してあり、前日に寄る様言われていたので、その手続きもした。
さて、午前中どう過ごそうか?観光マップをみながら、周辺の観光スポットを廻ることにした。歩いていると、JAの農産物直売所に「パッションフルーツの予約承ります」という貼り紙があったので、店内に見えるパッションフルーツと何が違うのか気になり、入ってみた。入った瞬間、パッションフルーツのいい匂いがした。贈答用だから見栄えが良いとのこと。値段も店頭で売られているものとそう違わないと言ったけど、次の船で送ることは無理だし、代金は帰ってから振り込みになるというので手数料もったいないし、店頭の物を買った。荷物になるから一旦宿に戻り、リュックの中に入れておいた。
再び外に出て「小笠原ビジターセンター」に入った。
小笠原の自然についての説明コーナー。小笠原は大陸と繋がっていなかったので、生物や植物は飛来したり海で漂流したりして島に辿り着き、独自の進化を遂げたという。
小笠原は世界自然遺産のイメージが強過ぎ、若い人を中心に太平洋戦争後にアメリカ統治の時代があったことを知らない人が多いかと思う。また、僕もそうだったけど、始めから日本人が住んでいたと思っている人が多いだろう。小笠原の住民の歴史にも触れていた。小笠原には欧米人や南方系の人が移り住み、捕鯨船と交易していたそうである。明治時代に日本が領土とし、八丈島などから入植があり、先住民は帰化させられたという。太平洋戦争で戦局が悪化すると、島民は集団疎開した。日本が敗戦すると、先住民は帰ることを許されたけど、それ以外の島民は帰れなかったそうである。1968年に小笠原が返還され、ようやく島民は帰れたのだが、先住民は再び日本人となったわけである。戦前やアメリカ統治中などの写真があった。このコーナーは写真撮影禁止だった。
次は大神山神社へ。入口の階段。
しめ縄がある建物と土俵があり、ここが神社?車が停まっているし、どうも違うみたい。神主さんの家かな?お祭りで相撲が行なわれるのだろう。
さらに階段を昇ると神社があった。手水舎があったけど、手水の場所が分からなかった。横長のボックスがあり、扉を開くとあった。鳥が水浴びするのを防ぐためだそうである。
本殿に参拝。父島入出港時には御朱印もいただけるそうである。
さらに階段を昇り、「メイン展望台」へ。他に2つ展望台があるそうである。二見湾の眺めが見事であった。
「トーチカ」という軍用隧道(すいどう)跡をくぐり、「山頂展望台」に向かった。
変わった格好の植物。
「山頂展望台」から再び二見湾を見た。こちらは小中学校がよく見えた。子ども達の元気な声が聞こえてきた。
裏手の住宅地。
タコノキ。沖縄のアダンと一緒?
「パノラマ展望台」。地面がぬかるんでいて、靴が泥だらけに・・・。ここで弁当を食べた。
さすがに小笠原は本土から離れ過ぎてるためか、都立高校がある。
海もいいが山もいい。
島内放送で、停電地区があることと、後にそれが復旧したこと、および「夜明道路」が倒木で通行止め、後に復旧したことが聞こえた。そこまで降ったんだ。どっちみち、午前中は島内観光に不向きだったね。
自然散策路があったので、散策した。
オガサワラビロウ。
タコノキの実。メインの地区のすぐそばから、こんな豊かな自然があるんだなあ。
残念ながら、花の時期ではなかったが、誰もいない散策路をゆったり楽しんだ。展望台も2組の島の母子と1組の観光客としか会わなかった。元々は大村地区の観光をしっかり予定してなかったので、朝雨が降ったからこそ午前中のんびり過ごせたわけである。
1時のツアー集合時間までまだ余裕があるので、「小笠原世界遺産センター」へ。
ここも小笠原の自然について触れられる場所だが、マイマイやハンミョウの保護、繁殖も行なわれている。
小笠原の植物の本を見た。さっきの変わった格好の植物で、紫色の花は「ナガボソウ」というそうである。
そろそろツアー集合時間なので、「小笠原観光」に再び向かった。
※②に続く