いよいよ恐山に。雨が降ってきた。道は空いてたけど、クネクネしていた。途中、湧き水があったので飲み、ペットボトルに汲んだ。
車の中にまで火山性ガスの臭いが入ってくると、じきに宇曽利湖と「太鼓橋」が見えてきた。「三途の川」に見立てられている。現在は渡ることができない。
「脱衣婆」と「懸衣翁」石像。「脱衣婆」が死者の衣服を剥ぎ取り、「懸衣翁」が枝にそれを掛け、罪の重さを量るという話から。
駐車場に到着。車が少なかった。11月から冬期閉山に入り、最後の週末だから混むかと思ったけど、雨だからか?
まずは「本堂」にお参り。中に入ると、故人の衣服などが納められていた。
御朱印をいただこうとしたら帳面を車に忘れていたので、受付に断って取りに行った。再び入り、いただいてきた。
立派な「山門」。
「地蔵堂」。御本尊が安置されており、「本堂」よりこちらの方が重要かと。
「地蔵堂」に向かって左から荒々しい岩肌が広がり、火山性ガスが噴出するエリアが広がる。綺麗な紅葉、しとしとした雨模様と合わさって、不思議な雰囲気だった。「無間地獄」。「~地獄」という箇所がたくさんあった。
所々に石が積まれ、風車があった。恐山は水子供養の場として知られている。風車は水子を弔う玩具とのこと。
開祖である「慈覚太師堂」。
わらじはあの世に旅立つ死者に向けてのものである。
所々に像があるが、古さを感じず、昔は何も無かったのかも。
「極楽浜」。死後の世界だから極楽も表している。東日本大震災の慰霊碑があった。
「八角堂」。ここにも衣服などが納められていた。
近くに「血の池地獄」があるらしいけど、場所が分からなかった。いつもではないみたいだけど、水が赤くなることがあるそう。
「八角堂」を振り返る。
「延命地蔵尊」。
雨でいい写真があまり撮れなかった。とりあえず一周し、参拝者が追加料金無しで入れるという温泉に入った。
まだ時間があるので、もう一度岩肌のエリアに入り、雰囲気の中に身を置いた。そして、余裕を持ってレンタカー会社に戻った。ちょっと離れたところにある「不動明王」に行けば良かったなあ。それと、見逃したところがいくつかあって残念。
車を返却し、下北駅まで送ってもらった。列車を乗り継いで仙台駅へ。仙台から名古屋まで夜行バスを利用した。今回はグルメを重視した。もちろん、仙台といえば牛タンである。駅の中にある「牛タン横町」の「利久」という店でテイクアウトにて購入した。そして、バスの中で食べた。ワンランク上の「極」なので、食べ応えがあった。
車の中にまで火山性ガスの臭いが入ってくると、じきに宇曽利湖と「太鼓橋」が見えてきた。「三途の川」に見立てられている。現在は渡ることができない。
「脱衣婆」と「懸衣翁」石像。「脱衣婆」が死者の衣服を剥ぎ取り、「懸衣翁」が枝にそれを掛け、罪の重さを量るという話から。
駐車場に到着。車が少なかった。11月から冬期閉山に入り、最後の週末だから混むかと思ったけど、雨だからか?
まずは「本堂」にお参り。中に入ると、故人の衣服などが納められていた。
御朱印をいただこうとしたら帳面を車に忘れていたので、受付に断って取りに行った。再び入り、いただいてきた。
立派な「山門」。
「地蔵堂」。御本尊が安置されており、「本堂」よりこちらの方が重要かと。
「地蔵堂」に向かって左から荒々しい岩肌が広がり、火山性ガスが噴出するエリアが広がる。綺麗な紅葉、しとしとした雨模様と合わさって、不思議な雰囲気だった。「無間地獄」。「~地獄」という箇所がたくさんあった。
所々に石が積まれ、風車があった。恐山は水子供養の場として知られている。風車は水子を弔う玩具とのこと。
開祖である「慈覚太師堂」。
わらじはあの世に旅立つ死者に向けてのものである。
所々に像があるが、古さを感じず、昔は何も無かったのかも。
「極楽浜」。死後の世界だから極楽も表している。東日本大震災の慰霊碑があった。
「八角堂」。ここにも衣服などが納められていた。
近くに「血の池地獄」があるらしいけど、場所が分からなかった。いつもではないみたいだけど、水が赤くなることがあるそう。
「八角堂」を振り返る。
「延命地蔵尊」。
雨でいい写真があまり撮れなかった。とりあえず一周し、参拝者が追加料金無しで入れるという温泉に入った。
まだ時間があるので、もう一度岩肌のエリアに入り、雰囲気の中に身を置いた。そして、余裕を持ってレンタカー会社に戻った。ちょっと離れたところにある「不動明王」に行けば良かったなあ。それと、見逃したところがいくつかあって残念。
車を返却し、下北駅まで送ってもらった。列車を乗り継いで仙台駅へ。仙台から名古屋まで夜行バスを利用した。今回はグルメを重視した。もちろん、仙台といえば牛タンである。駅の中にある「牛タン横町」の「利久」という店でテイクアウトにて購入した。そして、バスの中で食べた。ワンランク上の「極」なので、食べ応えがあった。