千葉県野田市にある関宿城は長禄元年(1457年)、簗田満助の手によって築城されたのが始まりです。当時はこの地より少し南の地にあり、平屋の建物だったそうです。簗田氏の支配は満助から持助まで六代続きましたが、北条氏に攻め滅ぼされ、その後すぐに豊臣・徳川の連合軍の関東攻めにあい、この城は連合軍の手に落ちました。
天正十八年(1590年)、徳川家康の実弟である松平康元が二万石で入城。その後、城主は各氏変遷を遂げますが宝永二年(1705年)久世重之以降明治に至るまで久世氏の支配となりました。
ちなみにこの天守閣は江戸城富士見櫓風に建造したそうです。(鉄筋コンクリート造り。3層4階。)
城の内部は博物館になっていて、大人一人300円で入ることが出来ます。中では関宿の治水・利水の歴史が展示されていました。
ひと際目を引くのがこの帆船です。高瀬船と言うそうですが、実際に川を上り下りしたそうです。
天守閣の天井はそれらしく造られていました。
今日は雨で、展望が良くありませんでした。晴れていれば関東一円の山々が見えたはず、残念。
さて、こちらは本物の「関宿城」があった場所です。現在の城から利根川を500m程下った堤防の脇に、ひっそりと碑が建っていました。
明治維新以降、「政府」から「陸軍省」また「政府」と管理者が変わり、その都度取り壊されていったそうです。今は跡形もありません。治水工事の為とはいえ、移転するとか出来なかったのでしょうか、何かもったいない気がします。