滋賀県東近江市は農地・工業地・住宅地等が広がっていますが、かつてここに広大な陸軍の飛行場がありました。
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その飛行場の施設の一つが今も残っています。軍用機の掩体壕(えんたいごう)です。掩体とは敵弾から射手を守るための諸設備のことですが、これは軍用機を敵の攻撃から守る設備です。航空機を格納するのですから、やはりそれなりの大きさです。身長165Cmの僕と比較しすれば、大体の大きさを想像していていただけると思います。
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カーナビをお持ちでない方は、滋賀県道45号石原八日市線(大凧通り)を市役所方面から南下して、名神高速のガードをくぐって少し先のT字路を左折します。さらに少し行くと名神高速の側道になります。
すると右手方向にサイクリング道路の案内板が見えます。この『掩体壕』はこのサイクリング道路沿いにあるので、適当なところに車を停めて見学してください。
とりあえず、その全体像を動画で掲載してみました。保存状態が悪く、かなり痛んでいます。
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向かって右側にある付帯施設です。
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向かって左側にある付帯施設です。
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前方の張り出し部分は人為的に破壊されたようにも見えます。
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コンクリートの材料として、その辺の川原から適当に集めてきた砂利を使用したような感じです。実際近くで見ると砂利の間に空隙がある個所もあります。たぶん、風雪による侵食ではなく建設当時からのもで、敵の攻撃が激しくなり練りを十分かける暇も無く急遽建造されたものと想像しています。
実際にこの飛行場に勤務していた人の話ですが、敵の艦載機から20㎜の攻撃を受けここへ駆け込んで難を逃れたという話を聞いたことがあります。さすがに爆弾には耐えられなかったかもしれませんが、艦載機による銃撃程度には耐えたようです。
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中にはスズメバチ?が巣を作っていました。
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戦争が終わって60年以上経ちました。かつての軍用飛行場も今では長閑な風景に変わっています。
おわりに・・・ 近い将来、この飛行場に勤務していた人の手記『我 予定高度二 到達セリ』を掲載する予定です。どうぞお楽しみに。 |
◎「近江の旅」シリーズまだまだ続きます。