長崎県対馬 スサノオ様【六社巡り】
1.島大國魂神社 (最北)
2.八幡神社【宇努刀神社】(中南部)
3.曽根崎神社(北部)
4.乙宮神社 (中南部)
5.岩楯神社 (北)
6.木根神社 (南)
その他、
⛩️島大國魂御子神社 ⛩️那須加美ノ金子神社
スサノオ様由縁の神社を周る。入り組んだ道が南北に延々と続く島・・・
【島大國魂神社】長崎県津島市上対馬豊409
前回投稿した『天王祭』で知られる愛知県の津島神社は、対馬からスサノオ様の来臨という由緒があると知り、長崎県対馬に来てみた。
江戸時代、長崎県【対馬】は、【津島】だったらしい。
ご祭神 須佐之男命 狭手依姫
狭手依姫は、イザナキ・イザナミの国生みで生まれた『津島』(対馬)の神。
上古では、対馬の最初の国司。
須佐之男さまは、出雲族の姫でご妻神の櫛稲田姫と共に祭られていることが多いですが、
対馬では須佐之男の御子・五十猛、大己貴、親子で祀られている。
(若宮神社 ご祭神 五十猛命)
スサノオと五十猛命・大己貴命が、韓国のソシモリに渡る為の拠点『行宮』の跡地に祭られている神社。
かつては神籬、磐境で、禁足地(立入り禁止)とされ、こちらがスサノオさまを祭った最初の祠だったとのこと。
【宇努刀神社】対馬市厳原町中村645-1
宇努刀神社(=うとな神社)と読む。(読めない😂
対馬國一之宮【八幡神社】の拝殿の並びにある。
向かって右の社殿が八幡神社
中央が宇努刀神社でスサノオ様を祭り
向かって左の社殿が天神社で小西マリア(小西行長の姫)を合祀している。
神功皇后が新羅征伐の後、『島大国魂神社』のスサノオ様を分詞して、
自らこちらに祭ったという。
宇努刀神社 拝殿
隣にある八幡神社は、対馬ノ国一宮(一宮=そのエリアで一番の社格の神社)であり、かつては『八幡神社下社』といわれ、北に50 kmほど 行った『海神神社』が八幡神社上社であり、現在も両社ともに対馬ノ国一宮となっている。
駐車場のヤマネコならぬ、
シマネコのさくらちゃん。
対馬ヤマネコには滅多に出会えないので「シマネコ」と呼んで親しんでるらしい、、
参拝者の方は駐車場無料✨⛩️
【曽根崎神社】
ご祭神 須佐之男命
一見すると何処にでもある、島神社・海神社のようだが、こちらは海に続く鳥居の先に石塔が祭られている。
地域の方々が総出で一帯の草刈をしていた。
横浜からお参りにきたと話すと、海側の鳥居を出て右に行くと『石塔』があるよと親切に教えてくれた。
4つの塔、
スサノオ様とご妻神様、御子の五十猛命と大己貴命に見えてくる。
茂木浜ビーチ
【乙宮神社】対馬市厳原南室209
島の最北端のスサノオ様『島大国魂神社』からの分社。
『乙宮神社』は空港から一番近いスサノオ様⛩️✨
ご祭神 姫神さま(玉依姫)を祭る。
拝殿の脇の摂社にひっそりと島大國魂神社があり、小さな社に
分祀されたスサノオ様が祭られている。
かわいい、
【岩楯神社】
ご祭神 須佐之男命
五十猛命、蛭子(事代主)
創建 不明。スサノオが韓国から戻った際の寄港地だったのが由縁。
弥生時代後期の古墳に祭られてる神社。
朝鮮半島との繋がりを示す出土品と共に、スサノオの韓国からの寄港地という由来が、韓国に一番近い島である対馬らしい。
近くにある韓国展望台からは、空が済んだ日には韓国の夜景が見えるとのこと。
韓国の夜景🌌
『韓国展望台』
対馬から韓国まで49.5㌔ 博多港まで130㌔。😮
全長80㌔の島ですが、リアス式海岸の細かく入りくんだ海岸線は915㌔もあり、
まさに津(=入江・湾)の島だ。道路での移動は南北200Kmくらい?
全て一般道😅
【木根神社】対馬市厳原町安神545
更に南へいった所。小さな海水浴場の脇にある。カーナビだとトンネルに誘導されてしまうが、トンネルを出てクリーンセンターへ折り曲がらないと行けない😅海に向かう道、けっこう探してしまった、、
スサノオ様が韓国へ渡る時、御子・五十猛命、大己貴命とこちらへ立寄ったのが起源という。スサノオが船着き場に使ったプライベートビーチといった感じだ⛵🛶
もともとは『磐境』『神籬』で(神の依代となる岩や木)社殿の無い古代祭祀の神社。
スサノオ様の古社と云われ、上古の風を感じる。
和歌山県熊野のスサノオ様が「紀ノ国」=「木の国」で、木の植樹の由来がある様に
こちら長崎県対馬のスサノオ様にも木の植樹に関わる伝承が残る。
【那須加美ノ金子神社】
『ご祭神』 大屋彦(五十猛)、大己貴命
スサノオが韓国(からくに)のソシモリの所に、五十猛と共に八十種の種を持っていったが、植樹はせず、全てこちらに持ち帰ってきたという伝承があり、立ち寄らせて頂いた。
対馬の須佐之男様は、韓国との往来を由緒とする神社ばかりで、
海神スサノオ様らしいエピソードに触れられる。
全て漁港に祭られていて津(=港湾)の形を見るに上古より船着き場であったことが伺えた。
【島大國魂御子神社】対馬市上県町佐須奈乙170
若宮神社(邪祖師神社)でスサノオの御子・五十猛命を祭り、
こちらの島大國魂『御子神社』でスサノオの御子・大己貴命を祭る。
対馬では、素戔嗚でなく「須佐之男」の表記が多いが、須や佐がつく地名も多い。
すると
遂にサスナオ(佐須奈乙)という地名が登場。😂☝️
(単なる偶然ですが…😅スサノオ寄せている)
対馬のスサノオ様は、
御子・五十猛命、大己貴命と祭られている神社ばかりで、
津島神社や八坂神社など本州の神社にみられる様な『牛頭天王』は祭られていない。😑
創建は、全て仏教伝来以前の古い神社で、まだ拝殿や本殿など『社』が築かれるより前の時代、
古代神道の、
磐境(岩くら)
神籬(ひもろ木)
神奈備山(ピラミッド型の三角山)など
木・岩・山を神の依り代として祭っていた露天祭祀の時代からの由緒がある古い神社が多い。
しかし『牛頭天王』さまはいないが、神仏習合の名残は残り、愛知県や岐阜県の神社にありがちな
お寺でなく神社なのに、寺院の様にロウソクを灯す燭台が本堂(本殿)の前に置かれている。🕯️😅
これだけ仏教色が強いのに仏教の神『牛頭天王』がいないのが不思議だった。🤔
そして、スサノオさまは全て漁港の近くに祭られていて、
それぞれスサノオが韓国との往来したことを証す由来があるのが興味深い。
まとめ
一通り対馬のスサノオ様を周ってみたが、愛知県の津島神社との繋がりはあまり感じられなかった。
韓国(からくに)=新羅のソシモリとの繋がりが多く、
ソシモリは高麗雅楽として残り、スサノオが五十猛と出雲の鳥上之峰に来たという話だが、
唯一、長崎県【対馬】と愛知県【津島】の繋がりを示すのが、この新羅のソシモリであり、
津島神社の居森社から熱田神宮に勧請された摂社が、ソシモリ神社ということだ。😌
(とび石づたいな繋がり😂)
※韓国のソシモリ(→ソウル、ソラボル等)
、、、
果たして🤔語源を何処に求めるか?ですが、
ソシモリ → ウシモリ(牛頭)
とゆー考え方では、
モリは韓国で、首長の意味であり
イモリ(居森社)だと首長が居る社な訳で
そこからソシモリを勧請したで
繋がると思いますが、、😵
😵結局、韓国の牛頭山由来てことに?😅
この際、韓国まで行ってみるべきか😂、、金スロー
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
しかし、、、それにしても
😅対馬の神社巡りは、場所探しに本当に苦労した。道のウネリもそうだが、
グーグルマップは電波入らず(ソフトバンク)、😅
カーナビは誤差があり山や海の中走ってたり(トヨタ車標準装備carrozzeria)、
着いたら神社の名前がマップと違うなのど、、💦
額ごとに違う社名が掲げられてる。
『島大國魂神社』なのに那祖師神社💦
正面鳥居⛩️横の看板には『若宮神社』の五十猛命の説明が、
鳥居の扁額は『那祖師神社』
拝殿の額は『那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社』とあり、
拝殿の中に入ると額に【島大國魂神社】と高々と掲げられていて、初めて
「あ」やはりここで良いのか😮と。
『島大國魂神社』ではなく、地元の方は元々の社名『那祖師神社』と呼んでるそうだ。
『島大國魂神社』の旧鎮座地は不通浜(とおらずの浜)という先にある白水山に祭られていたそうだが、禁足地で「入ると大風が吹く・災害が起こる・腹痛になる・命を落とす」などの伝承があり、
近づくことは許されず遥拝所から拝むことをしていた。
今は、那祖師神社に遷されていて「若宮神社」と共に三社が合祀されてます。
【島大國魂神社】
ご祭神 狹手依姫 スサノオ(東崎の白水山より)
【那祖師神社】
ご祭神 スサノオ 曽尸茂梨(ソシモリ)
【若宮神社】
ご祭神 五十猛命(東方1キロの海辺より)
全国各地を周っていて、いつもスマホのグーグルナビで目的地に向かい、
近づいたらカーナビを頼りに到着するということをしています。😌
と、いうのはグーグルのリアルタイム情報はカーナビより優れてますが、
目的地の精度が「神社巡り」に限っては極端に落ちるからです。
精度が落ちるというよりマニアック過ぎるというべきか、、
時々、古いGHQ(連合国日本占領司令部)の神社マップデータを使っているのでは?😅😅😅
と、思ってしまいます。マジか?!😂
※太平洋戦争後、GHQの政策で
「神社を沢山祭ってはいけない」とされ、
日本各地の地方の神社の多くが合祀され、一か所にまとめられた。
五所神社、十二所神社など、まとめた数を社名とするか、あるいは20社近い郷社を一まとめにして、その地方の地名をつけた○○神社などに、変えられていった。😔
こうした神社の合祀は、明治政府の一村一社制でも行なわれてきた。
廃仏、神仏習合、神仏分離からGHQの政策まで
私たちは、政治の歴史を信仰の歴史として知る機会が多い。
○○と信じられた、○○と考えられた、
等と思想や宗教現象の変化で語られることが多く
『信じさせた』『考えさせた』側の、
信仰を利用した政治的な宗教政策の意図を学ぶ機会は少ない。
Googleマップ上に、青ピンと赤ピンで表される同じ名称の神社からは
政治的な歴史だけでなく、民衆の信仰の変化も含めて
信仰の歴史が
不思議と感じとれる時がある。
今回も遷祀されていて、あるはずの無い場所に『島大國魂神社』がグーグルマップ上に出て、😳
うっかり禁足地だったとは知らずに不通浜を通って向かってしまった。
「見聞きしたことは話してはならない」というタブーがあるそうで、これ以上は書かない。
対馬では、禁足地など普段お参りしている神社とは明らかに違う場所があり、
もっと神経を研ぎ澄ましていけばよかったと、行き過ぎに後悔しました。
😔🙏⛩️
遥か古代、まだ日本列島と朝鮮半島の間に明確な国境がなかった時代。
國クニは島単位で存在している小国が多かったが、朝鮮半島南端から九州北端には同一の製鉄文化圏が存在し、海峡文化を形成していた。
須佐之男の時代以降、ニニギや神武が登場し日本列島でヤマトが起こり、やがて国が成熟すると共に、日本列島と朝鮮半島の間の国境も成熟していった。
(新羅が任那日本府を領有して以降)
ヤマト・ジェネシス(創成期)
上古の昔、スサノオ様と、御子・五十猛命、大己貴命、親子三人の
新羅往来の伝承の残る島。
まだ日本神話で神話化される以前、原初の
人として生きた時代のスサノオ様を感じる聖地✨
日本の神々は、
ブッタ、空海、モーゼ、キリストのように、
元は人として生きた方が亡くなられた後、影響を受けた人々や子孫の方々によって神として祭られる存在です。
※新井白石談😌
(西洋人が考え出した「唯一全知全能の神ヲシンジナサーイ…アガメナサ〜イ」
とゆ〜神とは異なりますのでご注意下さい😅☝️)
時代が遡るほどに、神々は神話化されていきますが、
創作神話の時代よりもっと前のレガシーに出会えると
人として生きたジェネシスも微かに感じることができます😌🙏
対馬は、もっと足をはこんで感じてみたいです😌
※見出し画像と最後の画像は和多津美神社
豊玉姫を祭る✨⛩️日本神話の故郷
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