【室生龍穴神社】奈良県宇陀市室生1297
【御祭神】 高靇神 善女龍王
『水神』高靇神(タカオカミ)と
『龍神』善女龍王(善如龍王)を祭る。
創建は不明ですが、古い神社と宇陀の紹介です。画像多め文章多めです。
千年以上前に、奈良時代の大和朝廷の雨乞いの神事が行われてましたが、
神社が創建される以前から聖域だったと思われます😌✨
宇陀市は、奈良県と三重県の県境
奈良盆地の東方、笠置山地の山に鎮座する神社で
宇陀の室生川沿いにある。正式名称は『室生龍穴神社』
(龍穴神社だけでググったら、同じ宇陀市内の青龍寺境内の龍穴神社へ導かれました😌)
木立からのぞく空が穴のようでもあり、
木々の一本一本が天昇る龍にも見えてくる、、
なんとも言えない情景
境内
手前の社は、善女龍王の拝殿。
奥の朱色の社に祭られているのが、水神【高靇神(タカオカミ)】?
柵があって入れませんでした。守られている様ですが、この造りだとまるで水神が龍神に封印されてる様な感じも、、🤔
タカオカミとクラオカミは『龗神(オカミ)』と呼ばれる水の神様で
クラオカミは谷の川の神、
タカオカミは山の川の神。
龍穴神社がある室生川は宇陀川の支流で、更に宇陀川も淀川水系の奥深い支流であり、大阪から瀬戸内海に注ぐ流れの遥か上流に位置する。
まさに、山の川の神らしい。
【龍穴神社奥宮】
吉祥龍穴という。龍穴神社から上流へ、車で数分行ったところ。
途中、天の岩戸神社がある。
吉祥龍穴へ向かう途中にある天の岩戸神社
崖崩れで林道が一部車で通行できず、、
結構歩きました。
室生龍穴神社奥宮『吉祥龍穴』入口
鳥居をくぐり下に流れている渓まで降りると、
「龍の棲家」と言われる洞穴があり、
遙拝所から拝むことができる。
遥拝所の奥に見えるのが、龍の棲む洞穴。
龍が棲むという淵の洞穴が見えるのはここだけで
日本三大龍穴のひとつだそうです。
【龍穴遥拝所】
この洞穴には、スサノオの娘で大国主の妻となった
『須勢理姫』が隠れたとの伝承があります。
宇陀は神秘スポットで様々な憶測や伝承がありますが、比較的新しいものが多く
こちらの吉祥龍穴の『須勢理姫』伝説が一番古いかと思われます。
大国主と言えば出雲大社【蛇神】、=奈良県三輪山の大物主も然り【蛇神】
大国主の正妃となる須勢理姫がここの
龍穴に匿われていたという伝承は、
何やら謎めいていて興味深いです。
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古事記にも登場する『宇陀』。奈良の人でもあまり行かない様な僻地ですが、歴史は古く大和朝庭より以前から存在していました。
古事記によると、、
大和朝庭を開いた初代・神武天皇が東征を行い、紀の国でナガスネヒコを討ち果たし、紀伊半島を周り奈良に入ると、
宇陀にはナガスネヒコの残党、兄ウカシ、弟ウカシという兄弟がいて、大和に服するか?抗うか?で兄弟は対立していました。
宇陀の兄ウカシは鏑矢を射ち神武軍の先導者『八咫烏』を追い払います。そして、罠を仕掛け神武一行の暗殺を企みましたが、大和側についた弟ウカシはこれを密告し、兄ウカシは討たれてしまいます。
こうして最後の抵抗勢力が討ち払われ、奈良で大和朝庭が開かれました。
大和朝庭になってからも、宇陀は朝庭の雨乞いを行いました。
古来からの霊力が宿る場所のようです。
宇陀市の『宇・陀』自体が梵語で、サンスクリット語で水は=ウダカと言い、
宇陀市の語源かもしれません。
【深谷川】
奈良盆地の東側を囲む山々には、
龍穴神社、丹生川上神社中社・上社・下社、天河弁財天など『水の神』が祭られている。
他にも宇陀市室生には、「九穴八海」という伝説があり、九穴とは、三つの龍穴と六つの岩屋のこと。
また、八海とは、五つの渕と三つの池のこと。吉祥龍穴は三つの龍穴の一つ。
誰でも気軽に立ち寄れる、という感じではない神秘的なスポット。
神社、、というより『龍の棲み家』
お参りする準備が出来てる方は、行っておきたいところ。
話しはそれますが、日本古来の神社は、創造主・創生主をのぞけば通常、
祖神(ご先祖様)や人々のために生きた偉人を神として祀っている。
例えば、
お釈迦様、イエスキリスト、
関帝廟(中国の関羽を祭る神社)、
空海、神武天皇、ヤマトタケルの様に、各地を歩き、人々のため、
国のために生きた人などが亡くなられた後に、
子孫やその教えや加護を受けた人々が神様として祭っているもので、
元々は人として生きた存在です。
こちらも神社である以上は、そうなのかもしれませんが、
普通の⛩️神社とはちょっと雰囲気が違います、、
😳なんというか、、、
人よりも龍がすぎる。そして、水の神さまがすごい。
神聖な「磐境」
古代、大勢の神依り達が集っていました。
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古事記の『須勢理姫』と大国主のお話し
稲羽の白兎を助けた大国主は、兄たちに殺されそうになって逃亡し、
伯耆の国から紀の国、スサノオの治める黄泉の国まで逃げてきました。そこで、
スサノオの娘『須勢理姫』と出会い結ばれます。
須勢理姫は父・スサノオに報告すると「葦原の醜男だ」と言い、大国主命を
蛇の、室に入れました。須勢理姫は密かに「蛇払いの比礼」を渡し大国主命はそれで
難なく生還しました。(室生の語源??😳)
次にスサノオは
蜂の、室に入れましたがまた須勢理姫は「魔除払いの比礼」を渡し大国主命はそれで
難なく生還しました。
(古事記に登場する室から生還したエピソードが、室生川、室生龍穴神社などこちらの『室生』という地名になっている?😳)
こうして幾多の試練を乗り越え、二人はスサノオの十種宝を持ち出し逃げました。
スサノオは黄泉平坂まで追いかけてきて
「お前は兄弟を退け大国主となり娘を妻にして、天に届くほどの高い宮柱のある宮殿を建てよ」
と命じました。
大国主は、命じられたとおり世界最大の木造建築と言われる宮を建て国造りを始めました。
このエピソードの「室」とは、部屋のことではなく穴のことですので、
大国主の別名が、
大穴持(オオアナムチ)
大穴牟遅(おおなむち)
と呼ばれた所以でしょうか、
大穴牟遅は、牟=牛(スサノオの声)によって穴の試練で即位の遅れた大いなる人(王)とも読めます、🤔
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古来、日本では水神や蛇神が祭られていました。
龍神も元々は、
仏教の護法神でお釈迦様の守護をしていた蛇神「ナーガ」(ヴァースキ)という存在でしたが、
インドから中国へ仏教の護法神が伝わると蛇神は全て龍神に変えられてしまい、ここで八大龍王や善女龍王が誕生します。
(中国人すごい😅)
4世紀頃のことでしょうか、、
やがて中国仏教が日本に伝わり「龍神」が広がってくると
日本でも古来からの水神や蛇神が「龍神」にかえられていき、
だんだん姿を消していきます。
(本場インドだけは「蛇も龍も同じ」という考えはなく、蛇神が龍神に変えられる事は無いようです🤔)
しかし、
こちらに来るとそんな紆余曲折も感じないくらいに、
今は昔の、深淵で懐かしいパワーと、人々との繋がりを感じます。
深谷川は、室生龍穴神社がある室生川の西側、ダム湖に注ぐ上流にあり龍が鎮座されています。
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最後に😌B 級歴史ヲタクなお話しを
「龍」について、、少しまた🙏
古来日本には龍神という概念は存在しなかった。
プロパー日本人である縄文人たちは蛇を刻み、縄文人に近しいと云われるアイヌ人たちも白蛇を祀っていました。
出雲の大国主
=
三輪山の大物主然り
少なくとも天孫族に国譲りをする前の本州では古代は、蛇神を祀っていたようです。中国の龍が伝来すると蛇神は土着の神とされ、龍にかえられます。
では、made in CAINAである【龍】🐉はいつ日本に入ってきたのか?
中国仏教の守護神である
八大龍王など「龍神」さまは中世、遣唐使の時代に日本に伝わったと思われますが、
龍そのものはもっと古くから、
それより1000年くらい前に
「漢字」の伝来と共に日本に入ってきたと思われます。
まだ、インド仏教が中国に伝わる前の事です。
弥生時代、2000年ぐらい前の硯が九州で発見されていますので、
その頃にはすでに中国の【龍】という漢字と共に「龍」という存在は日本に伝わっていた。
硯は弥生時代中期、紀元前1〜2世紀の頃の物らしく相当古いです。😳
まだ神社仏閣さえ無い時代ですが、
中国で雨を降らせる存在である龍が伝わり、九州で雨乞いが行なわれていた。
稲作の伝来は南北諸説ありますが、
日本のお米の起源であるジャポニカ米は、
中国江南地方が原産で雲南省あたりから南海ルートで日本列島に伝わってきたと考えられています。
稲作に必要な雨を司る存在【龍】も伝わっていた。
神社も仏閣も無い時代から既に
神事としての龍は、稲作と共にあった、、
とすれば、
このあたりが私達日本人が
古事記・日本書紀に登場しない中国伝来の龍を
『龍は日本古来からの、、』
と、感じる所以かもしれません。
🙄
日本で古くから人々が持ち続けてきた信仰は、
「土着の信仰である」として格下げされ、後から渡来してきた
大きな宗教にかき消されてしまう傾向がありますが、
それでも、遡って探ってみると
龍と日本人の関係は案外古い、、
二千年の時を超えて、今も私達と繋がっています。
🙏長い話を最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
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