【熱田神宮】
天皇家三種の神器のうち日本武尊の神剣『草薙の剣』を御神体として祀る。
『日本武尊』ヤマトタケル由縁の神社。
皇室と関係がある為、神社ではなく神宮と号している。
熱田神宮に祭られる神剣『草薙の剣』は、日本武尊が草を薙ぎ火中を脱した由縁の神剣だが、
元々は須佐之男命が出雲で八岐大蛇を退治した時に尾から発見した『天叢雲の剣』(あまのむらくもの剣)
天皇家の神器に奉じられた後、日本武尊(ヤマトタケル)が授かり『草薙の剣』と呼ばれるようになった。
相神として、天照大神と須佐之男命、
そして
日本武尊と、日本武尊に伴した尾張国造の兄妹を祭る。
愛知県津島市の『津島神社』へ向かう途中、つい寄ってしまった😌✨⛩️🙏
出雲まではなかなか辿り着きません。
今回は、日本神話のスサノオ様に纏わる『神剣』の投稿です。
東門からの参道は、深い緑のトンネルを行く。
門前の駐車場はなんなく停められた。⛩️
南門
名古屋といえば鶏🐔 立派な二羽が放し飼いになっていた。
人懐こい方の一羽。
😂女性客が来ると、トコトコ後をついて行く。おっさんの方には来ない😅
創建は『宮簀媛命』 尾張国造の姫で、日本武尊の妃。
日本武尊は東征で、妻・弟橘姫を失った。
日本武尊は帰途、尾張にお立ち寄りになり尾張氏の姫『宮簀媛』を妃として神剣・草薙剣を預け西へ向かったが、伊勢の能褒野(三重県)でお亡くなりになった。
宮簀媛命は、日本武尊を偲び夫より預けられていた神剣『草薙剣』をここ尾張熱田(愛知県)に祀ったのが熱田神宮の創祀という。
剣の以前の所有者である
須佐之男命と
剣を封じられた天皇家の祖神である
天照大御神とが
ともに祀られている。
参道や本殿の周りに摂社や、皇祖所縁の社が祭られている。
こころの小みちの奥に鎮座してる宮は、荒魂として祭られていますが、
剣を祭っているせいか、なんだか荒々しい熱田神宮の中では、
優し気なオススメの場所。
【須佐之男命】
【天火明の命】
尾張氏の祖神でニニギ命の兄弟(または親子?)⛩️✨
※=ニギハヤヒとの説もアリ🐜
神剣をご安置していたという土用殿
南門の横に鎮座する別宮「八剱神社」の大国主命
熱田大神が楊貴妃になっという伝承があり、由縁の清水
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天皇家の三種の神器とは
八尺瓊勾玉・八咫鏡・草薙剣で
📿皇居に八尺瓊勾玉
🧿伊勢神宮に八咫鏡
🗡️熱田神宮に草薙剣が安置されている。
らしい、、🤔
草薙剣は、正式な継承者である天皇でさえも見ることが禁じられていて、
過去、草薙剣を見てしまった熱田神宮宮司やその他の者等は流罪になりまたは病になり亡くなったと言う。
熱田神宮は、相神として共に天照大神も祭り、須佐之男命を主祭神として祭っている訳ではないが、
今回のスサノオ様を巡る旅は、
😳気がつけば、計らずとも
神剣のルートを巡る旅にもなっていた為、参拝させて頂いた。
スサノオの神剣『天叢雲剣』
高天原の政争に敗れ追放されたスサノオは、さすらい出雲にたどり着いた。
ここで出雲族を助け、八岐大蛇を退治してその姫である櫛稲田姫命と結ばれる。そして
八岐大蛇の尻尾(=斐伊川の上流)から、神剣『天叢雲剣』を見つけた。
斐伊川の上流、奥出雲は古くからタタラ場がある製鉄の地。
熊野の語源は『隈野』といい、奥まった野という意味らしく、スサノオの降臨地・奥出雲の八川はその名のとおり山深くにある高原。
出雲に熊野神社が祭られ、やがて熊野信仰は紀伊半島に遷座していくが、神剣『天叢雲剣』は天照大神(又は天孫・天皇家)へと奉じられることになる。
高倉下より神剣を受けた神武は熊野川を遡上し、八咫烏の道案内で奈良奥地へと進撃していき奈良盆地を征圧。大和(奈良盆地)で初代・神武天皇として即位する。
【天叢雲剣から草薙の剣へ🗡️】
大和王朝10代後、崇神天皇の時代〜
疫病が流行り世の中は荒廃していた。
『天皇家の神・天照大神と倭の神・大国魂を共に祭ったのが災い』
と、崇神天皇の娘・倭百襲姫に御神託があり、別々に祭ることになった。
やがて、大物主大神より子孫の大田根子に祭らせよとの宣託があり、その様にしたところ災いは治まった。
しかしその後も、天照大神を祭る為に崇神天皇の娘・豊鍬入姫が御杖となり
別の場所を探す旅に出て、各地を転々としていた。
丹後の国一之宮「元伊勢籠神社」など元伊勢と呼ばれる、神社が各所に残る。
豊鍬入姫命は、天照大神を祭る宮地を求めて丹波、大和、紀伊、吉備などの各地を巡っていたが、
天照大神を祭るに相応しい場所はついに見つからなかった。
豊鍬入姫命の代で鎮座する場所を定められなかったので、崇神天皇の孫、倭姫が跡を継ぎ遷座の旅を続け、26ヶ所を巡った果てに、
伊勢に天照大神を祭る遷座地を遇し、倭姫は伊勢神宮の初代斎宮となった。
神剣『天叢雲剣』も天照大神と共に旅をしてきたらしく、伊勢の倭姫の元にあった様だ。
倭姫の甥である日本武尊が東征に向かうことになった時、倭姫はこの神剣『天叢雲剣』を日本武尊に託した。
神剣『天叢雲剣』を振るい関東一円を降した帰途、日本武尊は焼津で火難に遭う。
その時に倭姫から授けられた
神剣『天叢雲剣』で草を薙ぎ払い、火打石で迎え火を起こし脱出した。勇者の剣は
この時より『天叢雲剣』から、草薙の剣と呼ばれるようになった。
そして、日本武尊の死後、草薙剣は熱田神宮に祀られ、
斯くして八岐大蛇を退治したスサノオの神剣は
長い長い悠久の旅を終え、現在まで鎮座されている。