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スサノオⅤ.愛知県【熱田神宮】神剣・草薙剣

2022-06-20 | スサノオ

【熱田神宮】
天皇家三種の神器のうち日本武尊の神剣『草薙の剣』を御神体として祀る。

『日本武尊』ヤマトタケル由縁の神社。

 

 

皇室と関係がある為、神社ではなく神宮と号している。

熱田神宮に祭られる神剣『草薙の剣』は、日本武尊が草を薙ぎ火中を脱した由縁の神剣だが、

元々は須佐之男命が出雲で八岐大蛇を退治した時に尾から発見した『天叢雲の剣』(あまのむらくもの剣)

天皇家の神器に奉じられた後、日本武尊(ヤマトタケル)が授かり『草薙の剣』と呼ばれるようになった。

相神として、天照大神と須佐之男命

そして

日本武尊と、日本武尊に伴した尾張国造の兄妹を祭る。

 

 

愛知県津島市の『津島神社』へ向かう途中、つい寄ってしまった😌✨⛩️🙏

出雲まではなかなか辿り着きません。

 

今回は、日本神話のスサノオ様に纏わる『神剣』の投稿です。

 

 

東門からの参道は、深い緑のトンネルを行く。

門前の駐車場はなんなく停められた。⛩️

 

 

 

南門

名古屋といえば鶏🐔 立派な二羽が放し飼いになっていた。

人懐こい方の一羽。

😂女性客が来ると、トコトコ後をついて行く。おっさんの方には来ない😅

 


創建は『宮簀媛命』 尾張国造の姫で、日本武尊の妃。

日本武尊は東征で、妻・弟橘姫を失った。

日本武尊は帰途、尾張にお立ち寄りになり尾張氏の姫『宮簀媛』を妃として神剣・草薙剣を預け西へ向かったが、伊勢の能褒野(三重県)でお亡くなりになった。

宮簀媛命は、日本武尊を偲び夫より預けられていた神剣『草薙剣』をここ尾張熱田(愛知県)に祀ったのが熱田神宮の創祀という。


剣の以前の所有者である
須佐之男命と

剣を封じられた天皇家の祖神である
天照大御神とが

ともに祀られている。

 

 

 

参道や本殿の周りに摂社や、皇祖所縁の社が祭られている。

 

こころの小みちの奥に鎮座してる宮は、荒魂として祭られていますが、

剣を祭っているせいか、なんだか荒々しい熱田神宮の中では、

優し気なオススメの場所。

 

 

【須佐之男命】

 

 


【天火明の命】


尾張氏の祖神でニニギ命の兄弟(または親子?)⛩️✨

※=ニギハヤヒとの説もアリ🐜

 

 

神剣をご安置していたという土用殿

 

南門の横に鎮座する別宮「八剱神社」の大国主命

 

 

熱田大神が楊貴妃になっという伝承があり、由縁の清水

 

 

 

 


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 

天皇家の三種の神器とは
八尺瓊勾玉・八咫鏡・草薙剣で

📿皇居に八尺瓊勾玉

 

🧿伊勢神宮に八咫鏡

 

🗡️熱田神宮に草薙剣が安置されている。

らしい、、🤔

草薙剣は、正式な継承者である天皇でさえも見ることが禁じられていて、
過去、草薙剣を見てしまった熱田神宮宮司やその他の者等は流罪になりまたは病になり亡くなったと言う。

熱田神宮は、相神として共に天照大神も祭り、須佐之男命を主祭神として祭っている訳ではないが、

今回のスサノオ様を巡る旅は、

😳気がつけば、計らずとも

神剣のルートを巡る旅にもなっていた為、参拝させて頂いた。


スサノオの神剣『天叢雲剣』

高天原の政争に敗れ追放されたスサノオは、さすらい出雲にたどり着いた。

ここで出雲族を助け、八岐大蛇を退治してその姫である櫛稲田姫命と結ばれる。そして

八岐大蛇の尻尾(=斐伊川の上流)から、神剣『天叢雲剣』を見つけた。

斐伊川の上流、奥出雲は古くからタタラ場がある製鉄の地。

熊野の語源は『隈野』といい、奥まった野という意味らしく、スサノオの降臨地・奥出雲の八川はその名のとおり山深くにある高原。

出雲に熊野神社が祭られ、やがて熊野信仰は紀伊半島に遷座していくが、神剣『天叢雲剣』は天照大神(又は天孫・天皇家)へと奉じられることになる。

高倉下より神剣を受けた神武は熊野川を遡上し、八咫烏の道案内で奈良奥地へと進撃していき奈良盆地を征圧。大和(奈良盆地)で初代・神武天皇として即位する。

 

【天叢雲剣から草薙の剣へ🗡️】

大和王朝10代後、崇神天皇の時代〜

疫病が流行り世の中は荒廃していた。

『天皇家の神・天照大神と倭の神・大国魂を共に祭ったのが災い』

と、崇神天皇の娘・倭百襲姫に御神託があり、別々に祭ることになった。

 

やがて、大物主大神より子孫の大田根子に祭らせよとの宣託があり、その様にしたところ災いは治まった。

しかしその後も、天照大神を祭る為に崇神天皇の娘・豊鍬入姫が御杖となり

別の場所を探す旅に出て、各地を転々としていた。

 

丹後の国一之宮「元伊勢籠神社」など元伊勢と呼ばれる、神社が各所に残る。

 

豊鍬入姫命は、天照大神を祭る宮地を求めて丹波、大和、紀伊、吉備などの各地を巡っていたが、

天照大神を祭るに相応しい場所はついに見つからなかった。

 

豊鍬入姫命の代で鎮座する場所を定められなかったので、崇神天皇の孫、倭姫が跡を継ぎ遷座の旅を続け、26ヶ所を巡った果てに、

 

伊勢に天照大神を祭る遷座地を遇し、倭姫は伊勢神宮の初代斎宮となった。

神剣『天叢雲剣』も天照大神と共に旅をしてきたらしく、伊勢の倭姫の元にあった様だ。

倭姫の甥である日本武尊が東征に向かうことになった時、倭姫はこの神剣『天叢雲剣』を日本武尊に託した。

 

神剣『天叢雲剣』を振るい関東一円を降した帰途、日本武尊は焼津で火難に遭う。

その時に倭姫から授けられた

神剣『天叢雲剣』で草を薙ぎ払い、火打石で迎え火を起こし脱出した。勇者の剣は

この時より『天叢雲剣』から、草薙の剣と呼ばれるようになった。

そして、日本武尊の死後、草薙剣は熱田神宮に祀られ、

斯くして八岐大蛇を退治したスサノオの神剣は


長い長い悠久の旅を終え、現在まで鎮座されている。

 
 
 
が、、約四百年後に少し旅に出た様です🗡️
 
また古代ミステリーロマン的な視点から深堀りしてみたいと思います😌
長くなりますが、興味のある方はご覧下さい。🙏💦
 
 
 
△▼△▼△▼△▼△▼△
 
『古代日本、最大最後の動乱』と草薙剣🗡️
 
〜壬申の乱の時代 668-686年⚔️
 
社伝では日本武尊の妃・宮簀媛命が熱田神宮の創建となってるが、
 
日本書紀では、天武天皇の病が重くなり祟りを鎮めるために草薙剣を熱田に祭ったとされ、
 
二つのエピソードがあり、前者は古墳時代、後者は飛鳥時代、300年以上の隔たりがある。
 
これは、伝えるところでは
 
668年に外国の賊徒が境外に草薙剣を持ちだそうとした事件があり、暫く宮中にあったが、
 
686年、天武天皇が病になり熱田神宮へ戻ってきたという。
 
668年というと近江大津宮に天智天皇が遷った翌年のことで、
 
686年は飛鳥浄御原宮の天武天皇が亡くなった年だ。
 
686年に戻ったということは、その間は草薙の剣がどちらかの宮中にあったということだ。(668−686ばかりで目が😵)
 
672年、『壬申の乱』という天武系と天智系の決戦があった動乱の時代であり、
 
両天皇の間で、三種の神器の一つである草薙剣の争奪戦があったのかもしれない、、🤔
 
古代日本の最大最後の大戦である壬申の乱の時代とは、どういう時代か?
 
天智天皇系から天武天皇系へと皇統が変わる激動の時代、668〜686年について少し触れてみたい。
 
668年に朝鮮半島の大国・高句麗が唐に滅ぼされ、新羅や和国には高句麗からの亡命者が逃れてきた。
 
660年の百済滅亡時には大勢の百済人が亡命してきて、この頃の和国は政庁の3人に1人が百済人という状態であり、そこへ高句麗人の流入があった訳だ。
 
『草薙剣』を持ち出そうとした外国の賊徒とは、この亡命渡来人らを指しているのではないだろうか?
 
中大兄皇子と呼ばれた百済系の皇子が天智天皇に即位する前のこと
 
(大兄皇子とは=百済の皇太子の言い方☝️😌)
 
対立する大海人皇子(天武)に味方する新羅からは、中大兄皇子の天皇即位を阻止せんと27000人の兵が和国へ派兵され中大兄皇子側を威圧した。
 
一方、百済を滅ぼし支配していた唐の劉仁軌将軍は、高句麗系の大海人皇子に対抗し、朝鮮半島の唐軍からも兵を動かすそぶりを見せ和国に駐留する新羅軍を威圧した。
 
唐軍の劉仁軌は高句麗との決戦を控えていて、なんとしても和国の覇権を高句麗系の大海人皇子(天武)に渡すまいと奔走し、半島と列島の動乱勃発を抑え和解を行った。
 
唐の高宗皇帝でさえも、東アジア鎮定のため重要な国事である泰山の封禅の儀を延期した程だ。
 
斯くして、唐軍は高句麗との決戦ただ一点に集中し、668年に是を滅ぼした。
 
こうした国際的な東アジアの緊張の中で
中大兄皇子は、奈良から滋賀の
近江大津宮に遷都し、ようやく天智天皇として即位したのだ。
 
672年に天智天皇が崩御すると、後継を巡り天智系と天武系(大海人皇子)の決戦が勃発。=壬申の乱
 
大海人皇子側の勝利となり、大海人皇子は天武天皇に即位した。
 
 
草薙剣が、天智天皇の宮・滋賀の近江大津宮にあったとしたら
この後は、
奈良県、天武天皇の宮・飛鳥浄御原宮へ戻ったと思われる。
 
 
倭姫、日本武尊の時代は、神剣は奈良から三重県の伊勢へ遷り、日本武尊と共に東征を経て名古屋の熱田神宮に鎮座したが、
 
お遷りになる場所を探し初めた第10代崇神天皇から、第40代天武天皇まで
 
実に400年を歴て神剣が奈良へ戻ったことになる。
 
亡命地である和国においては
 
668年以降は、高句麗人も百済人同様に、唐に滅ぼされ国を持たない民族となっていた。
 
和国内でも高句麗系の天武天皇と、百済の天智系の遺臣の対立は続いていた。
 
天武天皇は病死とさているが、一説に天智天皇の姫を娶っていた為、その王子に暗殺されたという説もある。
 
(※毒殺暗殺は病死として伝えられることが多い😔)
 
伝えられるとおり、
 
686年「天武天皇の病が重くなり草薙神剣は熱田神宮に戻された」
 
という、事なかのかもしれない。


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1 コメント

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千年マルテンサイト (グローバルサムライ)
2024-03-29 12:21:05
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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