厳島神社
【御祭神】 宗像三女神( 市杵嶋姫 多岐都姫 多紀理姫 )
*市杵嶋姫 (イチキシマヒメ)=
別称 サヨリヒメ 弁財天 田奈子姫
【創 建】 593年
推古天皇の時代佐伯鞍職による。
創建以前から神の島として島全体が崇められていた為陸地では畏れ多いと海中に社が建てられた。厳島神社は御祭神である市杵嶋姫(イチキシマヒメ)がその名の由来となっている。
広島県廿日市にある宮島口駅前の港から船で10分程度、夜8時まで10分おきに出航している。
神社は6時に閉まってしまうがぎりぎりに到着。港の駐車場も営業を終わるころで、もう渡っても間にあわないよと言われたが、それでも渡ってみたいと頼むとなんとか停めさせてくれた。
到着した頃はまだ少し明かるかったが、あっという間に日が暮れてしまった。
鹿が沢山放飼されてて、暗いところで静かにぬっと現れるとちよっとビックリする。
夜の海に浮かびあがる社殿はとても幻想的で、
異空間の夢でもみている気分にさせられる。
日が暮れて帰る人も多かったが、夜のライトアップされた厳島神社の写真を撮りに来ている人も多かった。さすが、日本三景のひとつだ。世界文化遺産でもある。
ハイタイドだからか?観光船が海に浮かぶ大鳥居を何度もいったりきたり潜ぐっていて、夜でも結構賑やかだった。
それでもそのざわめきさえ感じなくなるくらい、夜の厳島神社は幻想的だ。
月
神社の裏から反対岸へ周ると、開けた砂浜に降りることができて、
幻想的な雰囲気をより身近に感じることができた。
イチキシマヒメは河の神様である弁財天と習合され、財宝神としても祀られるようになった。
(日本三大弁財天)12世紀~平清盛がすすめた日宋貿易の守護であり平氏の氏神として栄える。
神の斎(いつ)く島という意味もあり、「伊都伎島」「厳嶋神社」「嚴島神社」と呼ばれてきて現在、島自体は宮島と呼ばれているが、厳島とも呼ばれている。
【厳島神社】【宮島】
広島県廿日市市宮島町1-1 アクセス
◆◆◆宗像三女神の話
海の女神として祭られている日本神話に登場する三姉妹の神様で、
九州では
【沖津宮】沖ノ島、
【辺津宮】宗像市の宗像大社に祭られている。(広島県厳島、神奈川県江の島)
古事記ではスサノオの子とされていて、
日本書紀では天照大神の子とされる。
祭られた場所も古事記・日本書紀・ホツマツタエで、それぞれ微妙にことなってるが、
宗像大社では、日本書紀を由緒としている様だった。
◇◇◇◇◇◇「日本書紀」 「古事記」
*多紀理姫 沖ノ島【沖津宮】 沖ノ島【沖津宮】
*多岐都姫 大 島【中津宮】 宗像市【辺津宮】
*市杵嶋姫 宗像市【辺津宮】 大 島【中津宮】
◇◇◇◇ 「ホツマツタエ」
*多紀理姫 沖ノ島【沖津宮】
*多岐都姫 相 模【江之島】
*市杵嶋姫 広島県【厳 島】
神奈川県の江ノ島神社では、古事記と同じ、
【辺津宮】多岐都姫、【中津宮】市杵嶋姫、【沖津宮】多紀理姫を祭ってるが、
ホツマツタエの由緒にちなみ、多岐都姫の辺津宮を「本殿」としている。
広島県の厳島神社も同様にホツマツタエどおりである。
古事記・日本書紀が全て九州の宗像なのに対し、ホツマツタエでは
広島・神奈川と本州に渡り、三姉妹のその後のさすらいがしのばれる。
三女神のストーリーもそれぞれ異なる。
古事記ではスサノオの子とされるが、日本書紀では5つストーリーがあり、天照大神の子としている話とどちらかわからない話がある。ホツマツタエでは、数奇な運命が書かれているが、古事記・日本書紀の複雑な記述はそうした事情を憚って書いてるようにも思える。
~古事記による宗像三女神の誕生~
追放されたスサノオが別れをつげに高天原にやってきた。天照大神から高天原を奪いに来たのかと疑われたが、スサノオは潔白を明すため誓約を行った。誓約(占い)により、天照大神が、スサノオの十拳剣から天真名井で【三女神】を産み出した。スサノオは天照大神の勾玉から五柱の男神を産みだした。
天照大神は、子供を産んだものの持ち主を親として、三女神はスサノオの子供とした。スサノオは私が清いから女神を生むことができたと勝ち誇ったが、その後、乱行を行うようになり、あたりちらすスサノオを高天原大神は見守っていた。
…どちらの子か分らないよう暗示しているようで、
スサノオが荒れて乱行を行う理由もあったのではと感じる。
~ホツマツタエでの宗像三女神~
私が好きな瀬織津姫の話の一節に登場する。
天照大神の12の妃のうちの一人が宗像三女を生む。
(※ホツマツタエでは天照大神は男性神)
~宗像三女神の母は、陰謀をたくらみスサノオに近づきます。そして夫である天照大神を欺きスサノオを天位につけようとしますが、ただならぬ気配を感じた正妃・瀬織津姫によって遠ざけられます。
スサノオに「瀬織津姫が妬み遠ざけられた」と告げ口したところ、早合点したスサノオは瀬織津姫に殺意をいだきます。
瀬織津姫は陰謀を暴き罪を糾弾することはせずに、筑紫の宮へ蟄居し三女を育てる様にと配慮をされました。しかし母は三女神の養育を放棄し筑紫から出ていってしまいました。
詳しい事情を知らないスサノオはそのことに怒り狂い乱行を行って、とうとう瀬織津姫の妹の花子を死に至らせてしまいました。
スサノオは高天原の神々に審議され、死刑二回以上の罪となってしまい、刑が執行されようとしてました。
その時、瀬織津姫の急使が来て勅を読み上げました。「蒼稲魂神の神力によって、花子は蘇った。その喜びにより善を償ったのでもう一度審議しなおすように」と、そして歌を添えました。
その歌にこめられた瀬織津姫の情の深さに諸神はみな涙し、再審議が行われ、スサノオは死刑を免れました。スサノオは身分を剥奪され交わりを断つ刑となり、出雲へ流れてゆきました。
その後、三女神は恙なく成人されましたが、母とスサノオの過ちを知ると、
三女神はみずから流浪の身となられました。
後日、罪を晴らした三女神は天下晴れて縁を結ばれ、
長女は大己貴命(大国主の命)の妻となり、沖津島神となられ
次女は香久山祗命の妻となり、相模江の島神となられ、
三女は伊吹戸主命の妻となり、厳島神となられました。
◇◇こうした話は、瀬織津姫とともに、古事記、日本書紀には一切登場しない。
瀬織津姫を祭る神社は多いのに、一切登場しないというも妙な話だと思う。
まるでそこだけ切りとられてしまったかの様だ…。
何れにしろ知り得ようのないことだが、
神様の四つの神性である、荒御魂、和御魂、幸御魂、奇御魂、
深い悲しみや怒りや忍耐、それを包む大きな慈悲と愛と、
そして奇跡があったのであろうかと偲ばれ、崇敬を感じずにはいられない。
古事記、日本書紀、ホツマツタエが伝える話はそれぞれ違っても、
宗像三女神が海の女神様として祭られていることは同じで、
1400年以上を経た今でも、ずっと変わらずにその場所に祭られている。
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