大正時代の文人たちが住んだ我孫子市旧別荘地の中に、子之神大黒天・延寿院と子の神古墳群があります。
大黒天とは、大国主命(おおくにぬし)と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られます。
境内には「金のわらじ」と「二つの名器」(性器崇拝・子授け祈願)が鎮座しています。
<子之神大黒天・延寿院山門(鳥居)>
子之神大黒天・延寿院(ねのかみだいこくてん・えんじゅいん)は珍しい神仏習合のお寺です。
また、寺院なのに鳥居があり、珍しい屋根付です。狛犬も鎮座しています。
<狛犬(阿形)>
平安時代に社頭や社殿に左側に口の開いた獅子と、右側に口の閉じた一角獣の狛犬が併置されたといいます。
それが、いつしか二頭とも狛犬と呼ばれるようになりました。
<狛犬:獅子(吽形)>
口を開いたもの「阿形:あぎょう」、閉じたものを「吽形:うんぎょう」といいます。
寺院の仁王像と同じ、「阿吽:あうん」で宇宙のすべてを包含する意味を持っています。
<本堂>
子之神大黒天・延寿院には、ネズミを使徒とする大黒天を祀っています。
伝説によると源頼朝が脚気にかかると夢に白ネズミに乗った翁が現れ、柊で足を祓うと治ったといわれています。
昔から、こちらでは腰下の疾患に霊験ありとされ、遠近より参詣者で賑わっています。
また文化3年(1806年)には、小林一茶も参詣したとされます。
<社額>
伸びやかないい刻字です。
現代の書家では、ここまで表現してまとめる事が出来る人は数える程しかいないようです。
<金(かね)のわらじ(ブリキのわらじ)>
ご本尊・子之神さまは、常に諸病を除去し、一切の宿願を叶えてくれる威神力を持つ神とされます。
特に腰下の疾患にはご利益があるとされています。
この脚腰の象徴であるわらじは、健全な永い人生の歩みを表します。
たとえどんな茨な道でも、すり切れることもなく、まして小判の形を踏み残すという云われです。
<七福神>
七福神と呼ばれる神様たちは、現在の日本で最も人気のある神様かもしれません。
日本中のいたる所に、七福神巡りの霊場が見られます。
七福神は恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人のことを言います。
<延寿院大師堂38番札所>
これは我孫子と取手にまたがる「相馬新四国八十八ヶ所」の内の一ケ所です。
<延寿院大師堂43番札所>
毎年、春になるとお遍路さんの団体が鈴を鳴らしながら巡拝するそうです。
<火渡り>
毎年10月の第4土曜日に「柴燈護摩(さいとうごま)火渡り」が行われます。
山伏姿の僧侶がお経を唱え、法螺貝を吹きながら入場し、稚児衣装を着けた子供も行列に参加します。
薪を組みあげて柴をたき、交通安全、病気平癒、厄災消除等を祈念します。
古い御札や護摩木を燃やして、まだ火が残っている所を山伏、信徒、参拝者の順に裸足で渡り歩きます。
<動画は2014年10月のもの> (4分19秒)
子之神大黒天「柴燈護摩火渡り祭」 千葉県我孫子市
隣接する「子之神古墳群」は1基の前方後円墳と、13基の円墳からなる群集墳です。
6世紀初頭から末にかけて造られたもので、いずれの古墳にも埴輪があり、市内でも代表的な古墳群です。
明治政府の「神仏分離令」までは、お寺の中に神社がありました。
この場合、多くは「神宮寺」と呼んでいます。
今でも、山岳寺院に行くと神仏習合の風習が残っています。
神主はいませんが、鳥居・狛犬・拝殿・本殿が存在し、同時に鐘楼・本堂・仁王門・庫裏などが存在しています。
大黒天とは、大国主命(おおくにぬし)と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られます。
境内には「金のわらじ」と「二つの名器」(性器崇拝・子授け祈願)が鎮座しています。
<子之神大黒天・延寿院山門(鳥居)>
子之神大黒天・延寿院(ねのかみだいこくてん・えんじゅいん)は珍しい神仏習合のお寺です。
また、寺院なのに鳥居があり、珍しい屋根付です。狛犬も鎮座しています。
<狛犬(阿形)>
平安時代に社頭や社殿に左側に口の開いた獅子と、右側に口の閉じた一角獣の狛犬が併置されたといいます。
それが、いつしか二頭とも狛犬と呼ばれるようになりました。
<狛犬:獅子(吽形)>
口を開いたもの「阿形:あぎょう」、閉じたものを「吽形:うんぎょう」といいます。
寺院の仁王像と同じ、「阿吽:あうん」で宇宙のすべてを包含する意味を持っています。
<本堂>
子之神大黒天・延寿院には、ネズミを使徒とする大黒天を祀っています。
伝説によると源頼朝が脚気にかかると夢に白ネズミに乗った翁が現れ、柊で足を祓うと治ったといわれています。
昔から、こちらでは腰下の疾患に霊験ありとされ、遠近より参詣者で賑わっています。
また文化3年(1806年)には、小林一茶も参詣したとされます。
<社額>
伸びやかないい刻字です。
現代の書家では、ここまで表現してまとめる事が出来る人は数える程しかいないようです。
<金(かね)のわらじ(ブリキのわらじ)>
ご本尊・子之神さまは、常に諸病を除去し、一切の宿願を叶えてくれる威神力を持つ神とされます。
特に腰下の疾患にはご利益があるとされています。
この脚腰の象徴であるわらじは、健全な永い人生の歩みを表します。
たとえどんな茨な道でも、すり切れることもなく、まして小判の形を踏み残すという云われです。
<七福神>
七福神と呼ばれる神様たちは、現在の日本で最も人気のある神様かもしれません。
日本中のいたる所に、七福神巡りの霊場が見られます。
七福神は恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人のことを言います。
<延寿院大師堂38番札所>
これは我孫子と取手にまたがる「相馬新四国八十八ヶ所」の内の一ケ所です。
<延寿院大師堂43番札所>
毎年、春になるとお遍路さんの団体が鈴を鳴らしながら巡拝するそうです。
<火渡り>
毎年10月の第4土曜日に「柴燈護摩(さいとうごま)火渡り」が行われます。
山伏姿の僧侶がお経を唱え、法螺貝を吹きながら入場し、稚児衣装を着けた子供も行列に参加します。
薪を組みあげて柴をたき、交通安全、病気平癒、厄災消除等を祈念します。
古い御札や護摩木を燃やして、まだ火が残っている所を山伏、信徒、参拝者の順に裸足で渡り歩きます。
<動画は2014年10月のもの> (4分19秒)
子之神大黒天「柴燈護摩火渡り祭」 千葉県我孫子市
隣接する「子之神古墳群」は1基の前方後円墳と、13基の円墳からなる群集墳です。
6世紀初頭から末にかけて造られたもので、いずれの古墳にも埴輪があり、市内でも代表的な古墳群です。
明治政府の「神仏分離令」までは、お寺の中に神社がありました。
この場合、多くは「神宮寺」と呼んでいます。
今でも、山岳寺院に行くと神仏習合の風習が残っています。
神主はいませんが、鳥居・狛犬・拝殿・本殿が存在し、同時に鐘楼・本堂・仁王門・庫裏などが存在しています。
いつもコメントありがとうございます。
ここ2年ほどで60社寺ほど参拝しているうちに、少しづつ知識が増えました。
神様が喧嘩するのではと、ご心配の様ですが、古事記の日本神話『オオクニヌシの国譲り』で平和的に政権委譲が行われたので、おおらかな神様ばかりなのでノープロブレムです。(^-^)
タイトルは消ゴムで消しておきましたよ。(^-^)
タイトルに『皆さん』が入ってしまいました。消しゴム置いていきます。
よろしくお願いしますm(__)m
沢山のことをご存知で本当に素晴らしいですねo(^-^)o
沢山の神社仏閣を回っても神様同士は喧嘩することはないのでしょうか?
いつも疑問に思ってしまいます(笑)
こちらの心はしっかり見えているのかな? ninbuさんは行いがいいから心配ないですねo(^-^)o
「卑弥呼の歯がいいぜ」、お役に立てて嬉しいです。(^-^)
私は近隣の神社仏閣を訪ねるのがライフワークになりつつあります。
2年前から始めて、今日までに65寺社を参拝してきました。
何か所も回ると自然に知識が増えてくるから楽しみも増えるんです。
また、新たな事実や伝説なども発見する楽しみもあります。
これからも、「神社仏閣を訪ねて」シリーズを投稿しますねで、よろしければ覗いてください。
とても参考になります。
歯の記事も参考になります。噛むことの大切さ、改めて感じました。
なにげなく訪れる神社仏閣も丁寧にみていくと
新たな発見がたくさんですね。
山口でめいごさんの結婚式ですか、おめでとうございます。
台風の影響が結婚式に出ないといいですね。くれぐれも気を付けてください。
私も社会科、特に歴史は大苦手でした。
特に歴史上の人物の名前を覚えるのが全くだめでしたよ。
神社仏閣へのコメントありがとうございました。
屋根付きの鳥居を見たことや、火祭りの行事などがの記憶が蘇ったというだけで、とても嬉しいです。
つい、今しがた、柏市に大雨洪水警報が発令されました。
今度の台風は最大限の注意をはらって、被害が出ないよう万全の対応しなければなりませんね。
今日は姪の結婚式で故郷に来ております。
ninbuさんの神社仏閣を訪ねて、もう一回一から読み直させて頂きたいなと思いました。
社会科が大の苦手だった私はコメントも多分的はずれになりそうです。
そこら辺はどうぞ笑って流してくださいね。
お寺さんで、屋根つきの鳥居奈良蔵王堂でも見たことあります。
火祭りも。
色んな行事興味深くなりました。
まもなく迎えの車が来ます。
帰ってからゆっくりと(*^^*)
けど、コメント不安(>.<)y-~
私は訪ねた社寺は一通り全体を見学し、説明書きがあれば写真に収めます。
大体は社寺の説明書きで窺い知ることができます。
ただ、疑問点や不明な点はネットや図書館、市役所などで調べます。
私はこれらを調べるのも楽しみの一つなんです。
地元の氏神様をサポートする氏子も高齢化で減少しつつあるのも事実ですね。
町内会に市から指導が入っているとは意外です。
でも、地域に密着してきた氏神様をみんなで守っていかなければなりませんね。
ninbu さん、こんばんは。
いつも乍ら社寺の言われ、伝説などを調べるのは大変な苦労だと感心します。
各地の神社仏閣には数百年の歴史があると言うことを知ったのは10年ほど前でした。
地元の氏神様も650年ほど前に建てられたと聞いた時はビックリしました。
今の町民は参拝すらしません。自分もその一人なのですが、市が陰で政教分離を唱えているのも背景に有るのかな?。そんな気がします。
市役所では、町内会で「神社仏閣の行事を推進することは控える様に」と通達されてます。
反面、陰では市の外郭団体がそうした行事を推進してるのは変ですがねえ。
ブログを最後までお読みいただき、また、動画もご覧いただいてとても嬉しいです。
頑張ってまとめた甲斐があり、とても励みになります。(^^♪
屋根のある鳥居は全国を探せばあるようですが、私は初めて見ました。
また、金のわらじとその言われも初めて知りました。
名の知られた神社仏閣よりも、このような地方の歴史ある社寺を訪ねると新たな発見ができます。
これからも、時間を見つけて近隣の社寺巡りを続けようと思います。
中身がいっぱい詰まった記事、しっかり読みました。
こういうの大好きです。
屋根のある鳥居珍しいですね。
金のわらじも面白い。
火渡り祭も拝見しました。
まだ火が残る燃えあとを歩く人達。
熱くないはずがありませんね。見ているだけで怖いです。
ご利益があると思えばなんのその!ですかね。
私にはとても出来ません。
これだけの記事を書くには相当時間がかかったことでしょう。
お疲れ様&有難うございました。
子の神は山の神と同じく山頂にあることが多く、この信仰は山の尾根を歩いて行かねばならなかったそうです。
だから、足腰が強くないとならず里に戻った時には「わらじ」を奉納したという話が残っています。
しかし、今はブリキのワラジが奉納されていまが、なぜ、ブリキの「わらじ」になったのかはよくわかりません。
軽くて、雨ざらしになっても傷まず、リサイクルにも便利だからと、私は想像します。(^-^)
スチールの板は、水も光も空気も通しません。しかも、落としても割れない、飛び散りません。
また、アルミと比べると約8分の1のエネルギーで再生でき、節電・リサイクルの時代に好適です。
先日は素敵な花オクラのレシピ&ブログにご訪問いただき、ありがとうございます(^^)
奉納されている「金のわらじ」はブリキでできているのでしょうか?初めて見ました。
時々、大きなわらじを納めているお寺を見ることはあるのですが、ブリキ=金のイメージが不思議でユニークですね♪