大病院の予約時間ほど当てにならないものはない。
大きなショッピングセンターの吹き抜けのようなロビーは
照明が高いせいか薄暗く、突き当りのガラス窓に映る日暮れの紅色が
より一層に鮮やかに見えた。
予約の時間が3時間ほど過ぎても呼び出し機は何も変化はなかった。
ボタンを押すと受付終了の文字が出るだけで、壊れているのではと疑いたくなった。
私は血液と尿検査を終わったら、すっかりさっきのカタカナの事を忘れていた。
しかし予約時間から3時間以上が過ぎロビーで待っている人が減ってきているのをみて
何か急に心配になり本当に受付が済んでいるかどうを膠原病科の受付に確かめに向かった。
受付は閑散としていたが私の受付をした中年の女性の職員がいたので
受付が確実に済んだのかを聞いてみた。
すると彼女は受付はすんでいるが、タッチパネルが済んでいないと言った。
よく見ると受付の端に液晶パネルが二つあり、
簡単な問診を手でタッチして応答するようであった。
最初の受付でのカタカナ言葉はタッチパネルの案内であったらしかったが、
私にはそれが何を指しているの聞き取れなかったのだった。
延々と待たされて苛ついていた私は
思わず「初診の患者に冷たい病院ですね。」と本音を言った。
職員の女性は表情の乏しい顔から思いきりムッとした顔になった後
怒りで言葉が出ないのかクレームに付き合う気はないのか目をそらし黙っていた。
私はそのままタッチパネルに進んで、10項目ほどの簡単な設問に答えてロビーに戻った。
それから30分ほどしてようやく呼び出し機がメロディーを奏で
膠原病科のフロアーにて待機するように告げた。
待合のフロアーに入ると同じように待ち疲れた常連らしい患者さんたちの話が聞こえてきた。
それによると膠原病科の待ち時間3時間は毎度の事のようであった。
それならなんの為の予約時間なのかと改めて思ったが、
その事を知らない初診の患者はタッチパネルの簡単な10問ほどの問診と検査の後
なんの連絡もコミュニケーションもない状態で3時間は放置されるのが
当たり前だという事だった。
これが西東京で一番大きな総合病院かと思うと
『医は仁術』という言葉やホスピタリティはこの病院には残念ながらないように思えた。
待合フロアーに入って一時間また経ち、ようやく診察室に入るようにと
呼び出し機が鳴った。
担当は女医さんであった。
診察室のドアに名札が掛けて有り分かってはいたが
対面して見ると予想以上に若く
見ようによっては高校生に見える小柄で容姿どうりの幼さの残る声だった。
私は大人気ないと思いながらも、病気の説明の前に
この病院の初診患者への冷たさをもう一度先生に告げた。
先生はちょっと困ったような顔をしたが、とりたてて弁明するでもなく
だた話を聞いてくれ、「事実を事務方に伝えておきます。」と
外見の印象とは違って簡潔に力強くおっしゃった。
一通りの問診の後、検査結果と症状から言えることは
膠原病の一種の自己免疫疾患に似ているという事であった。
ただ、癌に罹っている場合でも似たような症状が出るので今の段階では
どちらとも言えないという事であった。
そしてしばらくパソコンのディスプレイを見つめながら考えたのち
PHSを取り出して相手に症状の説明をはじめた。
先生はひとしきり話た後PHSを切ると
「自分だけでなく指導医にも診てもらいたいのですが良ろしいですか?」と聞いた。
断る理由もないので了承すると
程なくして溌剌とした体育会系の感じのする中年の女医さんが現れた。
指導医の先生は椅子での触診の後ベッドで筋肉や関節の痛みや稼働域を細かく調べた。
そして、手や顔や耳にも触って腫れ具合を調べ、
若い担当医に私が聞いたことのない病名の説明をした。
その病名を聞いて担当医はテンションがいかにも上がった様子で
「私も耳を触っても良いですか?」と言った。
担当医は確かめるように左耳を触って、右耳は指導医の先生が触りながらその
聞き覚えのない病気の事を説明していた。
私は自分がもしかしたら癌かもしれず、
また癌でなかったとしても自己免疫疾患が根本の治療法がない事は知っていたので
診断を聞いた直後は不安だった。
が傍らで二人の女医さんがなにやら楽しそうに両耳を触って話をしているのを聞いていると
受付での不快な思いも病気の不安も何か馬鹿らしくなって
お腹の底の方から何か笑いがこみ上げてきたのだった。
④に続く