日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  ⑮

2018年01月30日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

三十才を過ぎて前の仕事の後遺症で悩んいた私は

当時自分の体の状態を知る為に病院めぐりをしていた。

その日の私は行った先の病院で麻酔かけて検査をした為

間抜けな話だが一時的に両手が使えなくなっていた。

 

両腕が麻痺し手がダランと垂れ下がった状態のままであったが

翌日が仕事でせっかちな私は

麻酔が解けるまで待つ事が出来ずに帰途についたのだった。

 

病院の会計はもちろん駅で切符を買う事も一人ではできず

通りががりの人に声をかけて手伝ってもらいながら

なんとか家に帰った。

 

電車で手すりに摑まる事もできず、

今日と同じようにドアに体を押し付けて揺れに耐えていた。

その事をデジャヴのように思い出して、やっている事が変わらない自分に

可笑しさとやりきれなさの混じった気持ちになった。

 

想えばあの後手術をして尿療法を知り、

スピリチュアルな世界を彷徨う事になったのだった。

 

ふとその感情の流れを切るように

「調子の悪い時こそ*****」という言葉が浮かんだ。

 

その頃は痛みで眠る事ができず座って夜を明かす日もあったが

時としてその座っている事さえ辛くなる時があり

そんな時は立って*****をするようになっていた。

 

「そうだ*****をしよう」と思い立ち

体をドアに押し付けながら*****をしてみた。

 

一瞬のようにも数分のようにも感じられる時間の後

瞼が自然と開いた。

病院でしたのと同じくらい出来た感覚が残り

体が軽くなった気がした。

 

 

駅に着き、人の流れのスピードに乗れなくなった私は

反対側の階段にあるエスカレーターーに向かった

 

健康な時は何とも思わなかった家路が千里の道に思えた。

 

大柄な成人男性として、当たり前と思っていた能力が

実は精密な体のシステムの上に成り立っていたという事実を

改めて思い知らされた。

 

四肢の自由が効かない大柄な体躯の持ち主を介護するのは

さぞ大変だろうとおぼつかない足元を気にしながら想像した。

 

団地の入り口で我が家に灯る明かりを見上げながら

決断の時が来たという鐘が静かに鳴っている気がした。

 

 

                          ⑯に続く