「*****による排泄。」
妻の言葉に私は納得がいかなかった。
二十年以上の時をかけてようやくレッスンが終了してまだ間もなかったし
むしろこれからと思っていた時期の発症は中々受け入れる事の出来ないものであった。
当時私は一つの決断に迫られていた。
日常動作の出来る事が日に日に少なくなっていた。
服の着替えも被り物はむつかしくなり
ペットボトルの蓋はもちろん、牛乳パックさえ開ける事が出来なくなった。
また痛みで手を上げる事が不自由になり、お茶碗を手で持てなくなったので
台にのせて食べたり、浮腫みで指が赤ちゃんの手のように膨れて
握れないのと感覚の麻痺とがあいまって物を落とす事が増えていった。
現状の状態が続けば早晩ステロイド系抗炎症薬を使わなけれならなくのは明白であった。
ステロイドを一度使うと非常に長い期間服用しなければならず
最低でも一年最長なら十年という例もあるほどであった。
また副作用が多岐にわたるステロイド剤は医師の詳細な管理の元
注意して服用しなければ、効果が発揮されず、
少しでも患者の状態に合わない服用をすると
副作用のみに悩まされる可能性もあり
なによりもステロイド剤は根治治療の薬ではなく、
あくまでも症状の緩和の為の薬であった。
炎症が進むと日常生活に支障が出る為
生活の質を維持する為に副作用のリスクを考えても使う事で生活が成り立つなら
やむを得えずステロイドを使用するというのが
他に選択肢がほぼない膠原病系疾患患者の実情であった。
知人の知り合いがステロイドの強い副作用で骨が溶けたという話を聞いた。
(骨粗鬆症はステロイド副作用のひとつ)
私は尿療法をするようになってからは、西洋の薬は最小限しか飲まなくなっていた。
実際に鎮痛効果は尿療法の方が西洋薬剤より私にはよく効いたし、
何よりも西洋の薬剤の毒を以て毒を制す的な組成が
常用すれば体に害を及ぼす事は理解していた。
私は何とかしてステロイドを飲まないでこの病を治す方法はないか模索した。
一週間事に診察、検査を2回、3回と続けても尿細胞診検査検査では
腫瘍の疑いは晴れず血尿も続いていた。
担当医には腎臓癌や大腸がんなどのさらなる精密検査をすることを勧められた。
尿療法を長い年月に渡り続け、酒もたばこも嗜まず、
時には断食もしていた自分が癌に罹る事に
どうしても納得がいかなかった私は思わず先生に
「自分が癌に罹るくらいなら世の成人男性は全員癌になる。」などと暴言を吐いた。
白衣を羽織っていなければ女子高校生と言われても信じてしまえそうな担当医は
そんなオッサンの戯言をいなすように、
静かに「それならまずは一番簡単なエコーからにしましょう。」と言って
エコー(腹部超音波検査)をする事を勧めた。
診察前には必ず血液検査を受けてその結果の後に診察を受けるのだが、
検査の結果で希望がもてたのは、
CRP値(炎症の度合いを調る為の数値)が少しづつ下がっている事だった。
「癌由来の症状なら、CRP値は下がらないですよね。」
と疑問を正直に聞いてみた。すると先生は
「今は何とも言えないです。
ただこのまま何も薬を投与しないでCRP値が下がり続ける場合は
癌の可能性は低いとは思います。
ただ悪性の癌由来の炎症だった場合はステロイドはあまり効かないのはもちろん
手遅れになる事もあるので、とにかく癌であることの否定が最優先に必要なのです。
分かって頂けますか。」
と明確に答えてくれた。
「わかりました。 ではエコーを受けます。」
「大腸検査はどうしますか?なるべく早くに受けた方がよろしいです。」
「 自分としては、便秘なった事は断食の後くらいしかないくらい
お通じはいつもよいですし、大腸には自信があるのでちょっと待ってもらえませんか」
「わかりました。ではエコーの予約は〇日で良いですか?」
「宜しくお願いします。」
先生と会話をしながら初診時の耳の触診の時のように
何か自然と笑みが浮かんだ。
医者に頭ごなしに言われる事が子供の頃から当たり前であった私には、
若い女医さんとの対等な意見のやり取りがとても新鮮だった。
先生の顔を見ながら胸の奥に柔らかで暖かい想いがゆっくりと
落ちてゆくのを感じながら
「この先生となら、きちんと納得のゆく形でこの病と向き合ってゆけそうだ。」
ともう一人の自分の声が聞こえた気がした。
⑪に続く