「*****の再レッスンを受けたら」
神事やスピリチュアルな世界と距離を置くようになった私に
妻は自分の体験を交えて*****をもう一度レッスンすることを勧めた。
妻も私が二十四年前最初に*****のレッスンを始めた時に
私の感想を聞いてすぐにレッスンを開始した。
しかし私たち夫婦にとって*****はとても難解であった。
講習会に参加して理論を理解しようとしても、言葉が頭に入ってこず
*****の感覚は当時の私たちには中々実感できないものであった。
また当時そこには体の不調で訪れる人が多く
*****本来の次元を超えた技の習得というよりは
病気治しの為の今でいうヒーリングサロンのような状態だった。
超能力的な何かの習得を目的としていた私が
中々実感できない*****に苛立ちを感じていた時
例によってある本との出会いが私を外国に向かわせた。
その事により私は*****のレッスンが終了しないまま一旦
そこから離れた。
そして外国での体験が一段落した後、誘いもあってまた通いはじめ
私たち夫婦はレッスンを最後まで終わらせたつもりであった。
やがてミレニアムを超えて少したった頃に
レッスン未終了者に追加のレッスンをする旨のハガキが届いた。
しかし私も妻もレッスンが終わったと思っていたので自分たちには関係ないと気にせずにいた。
それから暫くして*****の創始者が亡くなられた。
妻は創始者が亡くなられた後も地道に勉強会に通い続けていた。
ある時創始者の残した記録から私たち夫婦がレッスンが終了していない事が判明した。
とても納得のゆく話ではなかったが、自分たちの現状が創始者の話した*****とは
実感として違うものであったし、また例のハガキは未終了者にだけに送られた事から
認めたくはなかったが心の底ではそれが事実だろうと思った。
しかし妻はそれを知ると安くないレッスン料を再び払い程なくして再レッスンを始めた。
そして時間をかけて今度こそ本当にレッスンを終了した。
人生での失敗を認め、スピリチュアルな事から手を引こうと思っていた私は
そんな彼女を横目で眺めながら時々*****の話に付き合うだけであった。
そしてそうした日々が続いてゆくうちに妻と*****の話になる度に
自分が*****の核心部分の理解がいい加減で曖昧であるかを思い知らされた。
妻は再レッスン終了後、勉強会での理論と
実生活においての実感との整合性によって*****の素晴らしさを得心していた。
彼女の言葉にはブレはなく論理的に破綻しているのは常に私の方だった。
レッスン終了後の妻の様子を見ながら、
私は*****がスピリチュアルな世界を四半世紀近く彷徨って唯一自分に残った
最後の可能性だと自覚した。
そして再レッスンを受けて得心する事が出来なければ
目に見えず証明も出来ない神や運命を信じて振り回される人生を
今度こそきっぱりと捨てようと決意した。
⑬に続く