日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について  ②

2018年01月21日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

*私の尿療法の体験を区切りとしてもう一度整理して書いておこうと思う

興味がおありの方は中尾良一先生の本を読んで、

自身のアイディンティティとしっかり向き合って

実行するかどうかを決められれば良いと思う。

 

私に効果のあった症状。

1 関節形成手術後の慢性的な痛みに対しての鎮痛効果。

  これがきっかけで尿療法を始めたのだが私には魔法のように効いた。

  人生を救ってくれたと言っても過言ではない。

  しかし、慣れてきて飲み忘れると痛みを感じた。本当に正直な効用だった。

 

2 慢性的な腎臓結石で起こる発作的な痛みの鎮痛効果

  腎臓結石は十代後半から、十年周期くらいでなった。

  特に仕事で忙しく体力が落ちた時に決まって腰が痛くなり血尿が出た。

  40年近く前の最初は最悪手術と言われたがその時は溶かす薬で石を小さくして出した。

  やがて、超音波による破砕の技術が出来て手術そのものは簡単になったが

  仕事をしながらでは、どうしても踏み切れず、私は尿療法で凌いできた。

  発作時の痛みは転げ回るほどではなく我慢できる範囲でやり過ごせるようになった。

 

効かなかった症状

  今回の病、

  医師の診断で挙げられた病名

  ①癌、由来の炎症 

  ②リウマチ性多発筋痛症 

   (リウマチと名前がついているがリウマチとは別の原因の病気)

  ③関節リウマチ 

   (リウマチ因子が陽性である事が一つの条件だが陰性でもリウマチの場合がある。

    私のリウマチ因子は陰性で医師に最終的にリウマチの可能性は低いと言われた。)

   

  

  ひとつの目安として数字を示しておく。

  病院の最初の血液検査での炎症値をあらわすCRP値は8.7mg/dlであった。

  CRP値の基準正常値は0.3mg/dlであり白血球の増加もみられたから

  風邪でも肺炎でもなく尿酸値も低いのに体の強い痛みを訴え日常動作に制限がある私を

  かかりつけ医が膠原病系と疑うのも当然だった。

  

  当時の私はリウマチ患者の指標でみれば数値上は中から重度の炎症値であった。

  そして鎮痛効果を期待し全自排尿を飲んでみたが

  この病には即効性はもちろん、一か月というスパンでも効果はなく症状は改善しなかった。

 

  この病の場合、通常の尿療法(朝一のオシッコだけを飲む)の継続中に発症している。

  一番最初の右の鼠径部の痛みが長く続いたのが、断食を始めた理由であったから。

  ただ急激に悪化し四肢に広がったのは

  断食による体力の低下が原因であっただろうと自分では思っていた。

  しかし担当医の意見は断食での体重の減少率からそれは考えにくいとう答えであった。

  

 *これは私の体験に過ぎない。

  

  人間はそれぞれ遺伝的な傾向や後天的な環境によって同じように

  実行しても違う結果がでる事はあると思う。

  そしてもう一つ加えるとしたら、

  人生を揺るがすような病は

  その人個人の運命や宿命に直結していると思っている。

  それ故、それらの病と当事者の向き合い方によって

  生死の間にある何かに近づく機会になりえるのだと。

  

  

 

  尿療法の本の中にはリウマチの改善はもちろん、癌の改善の体験談もある。

  尿療法にも限界がある事は間違いないが

  だからと言ってこの勇気を出せば、

  無料で薬も使わず健康な体を維持できる素晴らしい療法が

  超高齢化社会の現在に知名度が下がってしまっているのは残念な事だ。

  ここは、視聴率が低迷して悩んでいるフジTVにでも

  体を張る事を矜恃とし時には命をかけてまで笑いを取りにゆく

  お笑い芸人たちを被験者(なるべく慢性病をもっている人)に

  継続的な治験によるデーターの裏付けの取れる

  健康番組を作ってくれたらと思ったりしている。

  

  お笑い芸人ならオシッコを飲む事をネタとして

  笑い飛ばす事ができる精神の強靭さを持っているだろうと

  年末の『ガキの使い』を見ていると思えてしまうからだ。

  

  そういう親しみやすい切り口で

  尿療法の科学的な裏付けがされれば、この医療費が国家財政を圧迫している現在に 

  薬を使わずに健康を維持する老人たちが増えて

  いろいろな意味でWin-Win になると思うのだが

  製薬会社は困るか。  

  ふざけているように感じられるかもしれないが

  至って真剣に考えた私なりのアイディアだ。

  

     私が尿療法に人生を救われた事実は今も変わらない。

  中尾良一先生と、この療法を教えてくれた亡き父に感謝を 

                    

  ありがとうございました。          

  

 

 

 

 

 

 

追記 この私の体験はスピリチュアル馬鹿とも言える極端な例だ。

   それ故常識的な大人は体の異常を感じたらまずは病院に行って

   医者の診断に従うのが当たり前の判断だろう。

   尿療法に限らず、民間療法を過信して後悔するような事がないように

   客観的に判断できる材料として、まず検査をし数値を直視するべきだと思う。

   そこから先は自身のアイディンティティに従って判断されれば良いと

   何事にも極端に走る馬鹿の代表として自嘲を込めて記しておく。

   

 

 

 


『ヘブンリー ブルー』 番外編  尿療法について

2018年01月21日 | 『ヘブンリーブルー』自己免疫疾患という経験

現在も多くの健康番組が放映されているが

TVで継続的治験をして科学的なデータを取り尿療法を検証した番組を

尿療法を知って以来26年になるが私は知らない。

そして世間の偏見や誤解は今だに多いと思う。

 

オシッコを毎朝飲んでいる事を子供たちが知ったら、

つい友達に話してしまっていじめられたり

また私を嫌悪するかも知れないと思い

ビクビクしながら毎朝のトイレの時間を長年すごして来た。

 

幸い子供たちは父親がオシッコ飲んでいた事を知らずに大人になったが

私は当然のことながらこれまでほんの少数の信頼している人しか

尿療法の体験を話たことはない。

人生は当事者や同じような境遇を体験した者しか

本当の事や真意を理解できないのだから。

 

 肉体的な激しい痛みは、仕事や人生に支障をきたすだけでなく

若い時に片頭痛で苦しんだ時のように最悪命を虚無に引きずり込むものでもある。

それ故にその事に立ち向かう手段の一つとして、

『尿療法』がある程度(病気の種類、進度にもよるが)は

確実に鎮痛効果があり副作用もないというのが

二十五年以上実践をしてきた私の正直な感想だ。

確かにロキソニン(強力な鎮痛剤)のように

痛みを短時間で感じさせなくする事は不可能だろうが、

胃などの体への負担はなく、習慣化し継続してゆけば

怪我などの外傷や手術の古傷が雨が降る前に痛む症例
(気圧が下がる事によって体が膨張するのでそれを一定に保とうと体が反応する為)

などは忘れられるレベルになる事は私の体験から確実に効果が認められる。

 

赤軍派の永田洋子死刑囚が脳腫瘍の頭痛に苦しみ、

刑務所で薬もあまりもらえない為に尿療法を実践していたという事実がある。

私は彼女が頭痛から逃れる為に

尿療法を実践した気持ちは手に取るようにわかる。

強烈な頭痛は理性を破壊し、それだけで生きる気力を削ぐものだから。


だが肉体的な痛みは、生命を維持するのに必須の感覚で有り、

また人が肉体を持って生まれるからこそ体験できる重要なファクターだ。

視点を変えれば

人間は意識だけでは実感のわかない自己確認を

肉体を持って痛みを経験する為に生まれて来るのかもしれない。

 

人それぞれがどう肉体の痛みと向き合うかという事は

特に女性の場合は出産という痛みの極限を体験する事が

死の疑似体験となって、意識も体も変容させるブレークスルーとなっているように思う。

 

自分の尿を毎朝飲む事が日常になってしまった私には

もう最初のためらいや嫌悪感の記憶さえ無くなってしまった。

慣れてしまえばそれは濃いお茶を飲むのとさして違わない、

どうという事もない習慣だ。

でも人間の常識や生理的な嫌悪感を乗り越えるのは

個人個人の命の瀬戸際の度合いによるだろう。

 

ある時北野たけしさんが「尿療法」を知ってられて

「ションベン飲むくらいなら死んだ方がましだよ。」

とTVでおっしゃていたのを聞いた

たけしさんらしい、江戸っ子の気っ風があらわれている一言だと思ったが

でも命や理性を失う程の痛みから逃れる事が出来るのなら

ションベンくらいいくらでも飲めるというのもまた人間らしいと私は思う。

でも世の中にはたけしさんのような人もいるのは事実だ

人は命が掛かるほど信念やアイディンティティを曲げないものだと

私はもっとも近い他者から知った。

 

悪性の癌を患い余命宣告後、手術し普段の生活が出来るレベルに回復した兄に

私は尿療法を勧めた。

自身で感じた鎮痛作用や、他の体験談などを交えながら

父が私に語ったように、お金もかからず失うものはないのだから

一度試してみてはどうだろうかと。

しかし、兄はついに首を縦には振らなかった。

あれほど心底他者に懇願したのは生まれて初めてであった。

「俺がこんなにまでしてお願いしてもだめなのか。」と声を荒げ言い放っても

兄は「お前の気持ちは有難いがやることはないだろう。」

と静かに答えた。

 

兄は理系で科学的論理を信じていた。

そして検査の数値を根拠に自身の病状をいつも客観的に分析していた。

 

兄が亡くなってからずっと、兄の自身の命に対する態度に

私はどうしても納得がいかなかった。

 確かに尿療法をやっても兄の悪性の癌には効かない確率が圧倒的に高かっただろうが、

それでもゼロではないのならやってみる価値はあったのではないかと私は思えてならかった。

 

世の中事実の伴わない『奇跡』という言葉だけはたくさん転がっているが、

可能性があるならその根拠のない言葉を信じ行動する事を選ぶのは

私にとって譲れないアイディンティティであった。

 

命の懸かった瀬戸際でもなお、科学や論理を信じ藁を掴まなかった兄は

一番身近な理解できない他者として

そして他者の生き方がたとえ自分と大きく違っていても

そのまま認める事が人間の尊厳を守る事だという証人として

死してなお、鏡の向こう側から今も私を見つめている気がする。