ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

嫁泣く夜 回文俳句7

2006年02月13日 | 回文俳句

 しばらくお休みした回文俳句。 

 

 よく舐めよ珍味君ん家嫁泣く夜。  

  よくなめよちんみきみんちよめなくよ。

  あー、またしても裏回文俳句だな、と思いきや、 貧窮問答句のつもりなんですけど。沢庵の尻尾ばっかりなめて暮らさねばならぬほどの貧乏に毎夜嫁が泣く君んちはなんと哀れなことよ。

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空想漱石美術館

2006年02月13日 | 
 「『草枕』変奏曲」読了後、もっと興奮する本に出会った。新関公子著「「漱石の美術愛」推理ノート」(平凡社・2,000円)だ。漱石に関する研究書は数多あるが、新関さんは美術史家といった具合に文学以外の分野からのアプローチのほうがとても新鮮で、漱石の世界を鮮やかに描き出してくれる。

 漱石の小説には油絵から屏風絵に至るまで古今東西の絵画が頻繁に登場する。あの「坊ちゃん」でだって赤シャツがターナーを持ち出したりする。「草枕」あるいは「夢十夜」のジョン・エヴァレット・ミレー(写真:美しき土佐衛門?「オフィーリア」。この絵では憐れが足りないと漱石はいうが)、「三四郎」の青木繁など、こうした作中に登場する絵画を特定したり推理したりするのはもちろん、作品のイメージやシーンにも絵画から着想を得ているものが少なくないと推理していくのである。
 
 小説に登場する絵画作品を実際に写真で見るだけでも楽しいが、「三四郎」の池の女の登場場面は藤島竹二の「池畔納涼」、美禰子や美禰子をモデルにした「森の女」は黒田清輝の「湖畔」の女やラファエル・コランの「帽子を持つ婦人」からイメージを得たのではないかといった推理は実に手際よく、その実際の画像を見せられると、漱石の世界が一段と魅力的に見えてくるのだった。

 この本自体が「空想漱石美術館」であって、こんな美術展でも作品集でも企画したらさぞかし楽しかろう。それにしても漱石の博覧強記ぶりは、絵画への造詣をみただけでもすごいと改めて思うのだった。
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ふたたびグールドと漱石

2006年02月13日 | 
 横田庄一郎著「『草枕』変奏曲-夏目漱石とグレン・グールド」を読む。
 
 グールドが生涯に2回スタジオ録音したバッハ「ゴールドベルク変奏曲」を模して30章のエッセイで綴られている。ゴールドベルク初回録音(1956年)と再録音(1981年)の間には26年の歳月があり、その間にグールドは漱石の「草枕」に出会い、死の床に聖書とともに置かれていたほどの座右の書になっていた。著者はこの間に確実にグールドが「草枕」から影響を受けており、グールドが「草枕」の何に共感したのかを少ない資料、英訳本のグールドの書き込み、ラジオ放送用にグールド自らが抜粋編集した朗読原稿、周辺の人たちの証言取材など、を頼りに解き明かそうと試みている。
 
 グールドが「草枕」をラジオドラマとして構想し、それが音の対位法的ドラマになるはずであったとか、「草枕」を楽譜のように読んでいたと想像される書き込みがあるとか、「草枕」への傾倒ぶりを示す興味深いエピソードも少なくない。この本は、2人の精神的な相似性に言及しながら、2人の天才があたかも時空を超えて共振しあうような構成になっているが、グールドは「草枕」で展開された漱石の芸術論に共感したことは間違いないようだ。
 
 死の一年前に録音された1981年版「ゴールドベルク変奏曲」を聴くと、燠火のように奏でられる終わりのアリアには胸が詰まるが、この本を読んだあとでは、たとえば第一変奏など、左手の強いツービートを刻む音はまるで山を登る足取りのように聞こえ、ところどころに「草枕」のシーンがイメージされるのだった。
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