ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

床屋でアダ-ジョ・カンタービレ

2006年02月23日 | 音楽
 コーエン兄弟監督の映画「バーバー」でベートーヴェンのピアノソナタ8番「悲愴」の第2楽章アダージョ・カンタービレがなかなか効果的に使われていたので、普段あまりベートーヴェンなど聴かないのだが、ヴィルヘルム・バックハウスによる大変お得な廉価版(1,000円)を買ってみた。

 映画では主人公の床屋が美少女役のスカーレット・ヨハンソンが弾くこのアダージョに「君がつくったのかい」なんてたずねるくだりがあって、なんとそこからこの中年おやじの悲愴がはじまるのだった。第一楽章の暗さに比べればこのアダージョは、「悲愴」というよりセンチメンタルな恋心に触れるような曲の色合いだ。そもそもこの曲に「悲愴」とつけたのは、ベートーヴェン本人ではなく音楽出版社のほうだったという話だが、映画でも美少女に夢中になる中年おやじのせつない心情をこの曲がうまく表していたと思った。
 
 そのせいか、ぼくにもこの曲はセンチメンタルな恋か旅に似合っているなと思うが、中年おやじの恋なんて、結局その行方は悲惨なものかも知らんよな。フフッ。

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サラサーテのちぎり蒟蒻

2006年02月23日 | 
 鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」は蒟蒻をひたすらちぎり、目玉をなめるおばけ映画だったが、その原作となった内田百の「サラサーテの盤」(筑摩文庫)を最近読んだら、ちゃんとちぎり蒟蒻を入れた豚鍋を食べるシーンが出てくる。目玉をなめるのは、同じ文庫所収の幻想奇譚「東京日記」にあって、いずれにしろ原作も映画もどちらも傑作だと思った次第。

 ヴァイオリンの名手だったサラサーテが後に自らの名前がつけられるストラディバリウスで弾く「ツィゴイネルワイゼン」は、録音の途中で入ったサラサーテの声が聴ける珍盤として知られていて、それが百の小説のモチーフにもなっているが、小説でも清順映画でも「なんといっているか」は問題とされない。小説では、主人公が死んだ中砂の後妻に「サラサーテの盤」を返しに行き、そこでレコードをかけると、サラサーテの声が聞こえたところで後妻が顔を覆って泣き出すという場面でお話しは終わってしまう。あの世にいる人の声として扱われるところがおもしろさだ。

 なんでも、これをサラサーテが録音した頃は、レコードの片面は5分しか録音できなかったので、弾いている途中で録音が終わってしまうことから「もう終わる」とか言っているらしい。真相を聞けば大しておもしろくないのだから、これはあの世からの声と思ったほうが楽しい。

 このブログにもときどき顔を出すのり平さんは百ファンらしいが、確かにおもしろい。ぼくは「東京日記」のかずかずの幻想奇譚がとても気に入った。ところで、ツィゴイネルワイゼンのツィゴイネルがドイツ語で「ジプシー」を意味し、ワイゼンは「歌」の意味だそうだ。
コメント (1)
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