ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

中心の抜けた二都物語

2006年05月08日 | アフター・アワーズ
 GWに六本木の森美術館に「東京・ベルリン展」が終わるので観にいった。連休中の人出に加え、同じ美術館で「ダヴィンチ・コード展」が始まったので、チケット売り場へ至るエントランスは入場整理されて外まで長蛇の列、30分待ちという混雑振りだった。美術館のある52階は展望ゾーンになっていて、しかも美術館の鑑賞券と展望ゾーンの入場券はセットで1500円、エレベーターも同じだから、老若男女、観光客も美術館の客もみんな一緒というわけ。美術館の中も子供が走り回る賑やかさではあった。

 それでも「東京・ベルリン展」は、外の混雑振りからすれば空いていた。やはり「ダヴィンチ・コード」に比べりゃ地味だもの。「日本におけるドイツ年」の一環の企画だが、東京とベルリンの都市文化が同時代的に共鳴しあってきたイメージをすぐ思い浮かべられる人はそうはいないだろう。ベルリン・ダダ、バウハウス、表現派、築地小劇場、分離派建築などの20世紀初頭のムーブメントに両都市の共振を感じるものの、それも両都市がファシズムを準備した時代が放つ甘い誘惑の香りに満ちていたからであって、だから都市としての東京とベルリンがもっとも共鳴しあったのは、ナチスのベルリンと大日本帝国の帝都東京だろう。このプロパガンダの時代の表現は、ナチス・ベルリンに軍配が上がるが、この展覧会のなかではこの時代にあまり光は当てられない。だから、中心が抜けた二都物語に思えてしまうのだった。

そうはいっても、近代以降の500点あまりの日独の作品を、年代を追って観られる機会というのはめったにない。概論的には興味深い展覧会でありました。
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