ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

回文俳句11 祭り舟

2006年08月29日 | 回文俳句

 夏祭りももう終わり。蝉の声がうるさくなると晩夏を感じます。往く夏を惜しみつつ一句。

 

祭り舟 神輿で仕込み 舐り妻

まつりぶね みこしでしこみ ねぶりつま 

 

 こんな句でどんな情景が浮かびますかね。

帆掛け舟なんていう技はあるようですが、祭り舟というのはありませんよね。

まあ、いずれにしろ夏祭りの熱気は身も心も開放的にさせてくれます。

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スターリンの子どもはスターリンコリン?

2006年08月29日 | 
 大学時代の宴会芸で、「メリーさんの羊」の替え歌で、「スーパーマンの子ども、子ども、子ども、スーパーマンの子供はスーパーマン子」とか「ミスターチンの子ども、子ども~」なんてたわいもない唄を歌って騒いだことがある。スターリンだと「スターリンコリン」なんて、いまならなるんだろうか。

ところで、スターリンとヒトラーではどちらが悪党かとか、歴史上最悪の独裁者は誰かなどと問われることがしばしばあるが、粛清のスケールではスターリンに軍配が上がろう。第二次世界大戦の勝者であったがために、スターリンの粛清はナチスのユダヤ人虐殺のように敗者として裁かれることはなかったが、「一人の人間の死は悲劇だが、数百万人の人間の死は統計の数字だ」といった語録に象徴されるように、このグルジア人は相当な悪党であったことは間違いない。しかもその後の毛沢東、金日成、ポルポト、果ては連合赤軍まで赤い独裁者のモデルとなったという点でも罪深いし、スターリン化のメカニズムは国家に限らずどのような組織にもありうるという点が恐ろしいのだ。

なんといっても民族だとか主義、血縁など関係なしに、反革命(実に都合のいい言葉だ)やスパイ容疑をでっち上げて大量に(1,000万人ともいわれる)人民(ヴィ・ナロードでありながら)を粛清した。粛清の対象になった中には、ソ連を理想の国として夢見て亡命したり、国際共産主義運動に身を投じてソ連で活動していた日本人も100人近くいたといわれる。ソ連崩壊後、内部資料によって粛清の実態が次第に明らかになりつつあるが、そうしたなかで、スターリンと血を分けたその一族たちはどうこの時代を生きたのか。そんなわけで「スターリン 家族の肖像」福田ますみ著(文芸春秋社)を読んでみた。

本著は主にいまもロシアで暮らしている、スターリンの孫アレクサンドル・プルドンスキー、エフゲニー・ジュガシヴィリ、ガリーナのインタビューと娘スヴェトラーナの自伝、その他関係者の証言や資料をもとに、スターリンの一族という宿命に翻弄されながら人生を歩んできた人たちの苦悩や家族から見た独裁者像を描いている。無関心と溺愛、スターリンは、その家族にとっても尋常ならざる父や祖父であったようだ。スターリンには最初の妻にヤーコフ、2番目の妻に、ワシーリーとスヴェトラーナという3人の子供がいた。それにしてもこの独裁者にして子供が3人というのは少ない。肖像画に描かれる鋼鉄の男からは程遠く、この男はきっとセックスには淡白だったのではないかと思うのだ。

さて、スヴェトラーナは、ロシア革命50周年の年にアメリカに亡命、その後一時ソ連に帰国するが、再びイギリスへ脱出、そして最後はアメリカに移住した。この娘がスターリンには最も可愛がられたらしいが、結婚相手が強制収容所送りになったことで以来父親との確執は耐えなかった。長男ヤーコフはスターリングラード攻防戦でドイツ軍の捕虜となり、ドイツ軍将校との捕虜交換要員となったが、スターリンがそれを拒否、後に獄死している。次男ワシーリーは空軍パイロットだったが、スターリンの子供であることに耐えることができずアル中で廃人同様となって死亡。スターリンの死後、フルシチョフのスターリン批判によって、その大粛清の一部が明らかにされるのだが、そうした歴史の激動に、スターリンの孫たちも否応なく晒され、スターリンの姓であるジュガシヴィリ姓を捨てる孫もあれば、スターリン・ブロックなる政党を組織してスターリン時代の復古を夢見る孫もいる。どう生きようともいずれもがスターリンを背負い続け、そのくびきから逃れられずにいるのだった。

注意しよう。閉じられた組織は必ずスターリン化する。
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