話題の恩田陸『夜のピクニック』(新潮文庫)を読んでみた。ロードムービーならぬロードノベルというものがあるとすれば、これはまさに一昼夜の80キロ歩行祭の間に主人公たちが成長するというロードノベルである。ただ一昼夜歩くというだけの高校生の行事を骨格として、大会の始まりから終わりの24時間に起きるさまざまなエピソード、登場人物たちの恋愛や家族や友人関係という高校生らしい話題と会話の展開で読ませていき、飽きさせない、その手腕はたいしたものだと思う。
読後感も爽やかで、ここに出てくる高校生たちはきっと卒業後もまっとうな道を歩いていくんだろうなと思わせる。まあ、おやじとしては、人生そんなうまくはいかないぜといいたいけれど、そういう声は当然ながら予測して書かれているところが憎たらしい。ジム・トンプスン愛読者としては、「あれれ、悪いやつや馬鹿が一人も出てこないや!」そんな世界も小説も珍しいわけだった。
高校最後の学年で同じクラスになってしまった融と貴子という反目しあっていた異母兄弟の二人が、最後の歩行祭を通じて兄弟として和解できるかどうかというのがメーンストーリーで、アメリカに移住した友人からの手紙に書かれた「おまじない」とか、昨年の大会で写真に写っていた、いるはずもない野球帽の少年とか、ある生徒の妊娠の噂とか、そうした仕掛けを織り込みながら、高校生たちの微妙な心理の揺れを明快に描いている。おそらく「わかる、わかる」とか「そう、そう」とか「そんなことあった、あった」とか頷きながら、あるいは懐かしみながら読んでいる読者は少なくなかろう。
悪いやつは出てこない。打算的といわれる女子生徒だってかわいいもんだ。みんな青春特有の悩みや不安はあるものの、それらとちゃんと向き合っていて、友だち思いで、理知的だ。こんな友人たちに囲まれて高校生活を送った人たちには共感できるだろうが、あるサイトの若者が「選民意識」にあふれているとコメントしていたように、この世界に嫌悪感を覚える読者がいても不思議はない。誰もが共感できる部分と、私立文系が脱落組といわれる県立の進学名門校が舞台だけに、その世界になじめない人もいるだろう。そういう人は「珍説夜のピクニック」とか「桃色夜のピクニック」なんてーのを書いてくれると楽しいと思う。
ちなみに私は私立文系が脱落組みといわれる県立の男子進学校の出身ですが、みんないつもムスコが「夜ぴく」状態でした。(「トリビアの泉」の高橋さんの言い方で読んでね)
すいません下品で。
読後感も爽やかで、ここに出てくる高校生たちはきっと卒業後もまっとうな道を歩いていくんだろうなと思わせる。まあ、おやじとしては、人生そんなうまくはいかないぜといいたいけれど、そういう声は当然ながら予測して書かれているところが憎たらしい。ジム・トンプスン愛読者としては、「あれれ、悪いやつや馬鹿が一人も出てこないや!」そんな世界も小説も珍しいわけだった。
高校最後の学年で同じクラスになってしまった融と貴子という反目しあっていた異母兄弟の二人が、最後の歩行祭を通じて兄弟として和解できるかどうかというのがメーンストーリーで、アメリカに移住した友人からの手紙に書かれた「おまじない」とか、昨年の大会で写真に写っていた、いるはずもない野球帽の少年とか、ある生徒の妊娠の噂とか、そうした仕掛けを織り込みながら、高校生たちの微妙な心理の揺れを明快に描いている。おそらく「わかる、わかる」とか「そう、そう」とか「そんなことあった、あった」とか頷きながら、あるいは懐かしみながら読んでいる読者は少なくなかろう。
悪いやつは出てこない。打算的といわれる女子生徒だってかわいいもんだ。みんな青春特有の悩みや不安はあるものの、それらとちゃんと向き合っていて、友だち思いで、理知的だ。こんな友人たちに囲まれて高校生活を送った人たちには共感できるだろうが、あるサイトの若者が「選民意識」にあふれているとコメントしていたように、この世界に嫌悪感を覚える読者がいても不思議はない。誰もが共感できる部分と、私立文系が脱落組といわれる県立の進学名門校が舞台だけに、その世界になじめない人もいるだろう。そういう人は「珍説夜のピクニック」とか「桃色夜のピクニック」なんてーのを書いてくれると楽しいと思う。
ちなみに私は私立文系が脱落組みといわれる県立の男子進学校の出身ですが、みんないつもムスコが「夜ぴく」状態でした。(「トリビアの泉」の高橋さんの言い方で読んでね)
すいません下品で。