ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

11分より長い?短い? パウロ・コエーリョ「11分間」

2006年08月08日 | 
 お酒も前戯のうちなんていうけれど、服を脱いだり、そういう時間を除けば実際にセックスにかかる時間は「11分間」。その11分のために人生が回っているように人々は11分に翻弄されている。セックスは11分で終わりのものなの、もっと永遠のものじゃないのってコエーリョさんいいますけど。11分より短い人はどうすればいいんですかー。

 そう、セックスは時間ではないって。そういう性を支配している文化的制度性から解放されてもっと自由に性を考えようよっていうのが「11分間」。で、結論は、この小説でも 「いくときは一緒よ」に落ち着いちゃう。確かにいくときは一緒がいい。まあ、男は射精感という小さなオーガスムを安易に味わうことができるから、先にそこにいっちゃったりするわけですが。でも、娼婦になったり、鞭で打たれたり、いきなり玄関でしたり、キッチンのテーブルで後ろからされるとか、こんな手順ふまなくったって、11分間から解放されると思うけどなー。

 まあ、長い道のりが必要ってのもわかるけど。この本でも図書館のおばさんが言っていたよ。クリトリスが発見されたのは16世紀にイタリア人によってだとか、Gスポット(「入ってすぐのところ、1階の、一番奥の窓際」だって)が発見されたのは20世紀だとか。自分の体もパートナーの体のことも、よく知らないで人は長年セックスしてきたって言うのも分かる。でも、サド侯爵のように並外れた性=生の求道者たちが、人間の可能性を追求してきたことも性の奥深さだ。

 この小説はコエーリョ55歳のときの作品。多分、この人も往時の勢いの衰えを感じていたんじゃないだろうか。EDの心配だってあるだろさ。バイアグラも11分を持たせる方法の一つ。でも、そうではない「いくときは一緒」の方法はパートナーとのコミュニケーションが必要だし、男も射精感だけでないセックスの楽しみを追求しないと、年とってくるとね。この小説も映画化の話があるらしい。できれば、ペドロ・アルモドバルにとってほしいと思うのだった。

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