ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

J.P.マンシェット『殺戮の天使』のエメに惚れる

2007年08月06日 | 
 図書館できれいな本を借りるには、当たり前だがほとんど借りられないで書架に眠っている本を探すことだ。手垢で汚れているのは致し方ないにしても、本をひろげていると、ときどきクッキーのくずかすだとか、なんだか分からない黄色いシミに出くわすと、本を投げ出したくなることがある。だが、面白い本はいつでも書架で静かに選ばれることを待っているものだ。とりわけフランスの現代小説などは、ほとんど手垢のつかない状態でその内容の凶暴さを隠してたたずんでいる。

 ジャン・エシュノーズの近くにあったジャン・パトリック・マンシェット『殺戮の天使』(野崎歓:訳・学習研究社)もそんな1冊だ。こんなところに凶暴な天使がいたとは。

 休日の朝の“明烏読書”で一気読み。明けの烏がカーと鳴いて東の空がしらみ始める頃、一度トイレに立ち、寝床に戻って始める読書を“明烏読書”。開いたのがこの本というわけ。

『殺戮~』はいわゆるセリ・ノワールといわれる暗黒小説で、原題は「fatale」(ファタル)。エメという美人殺し屋が主人公。映画の脚本のような乾いた文体、場面や舞台装置は描写されるが、心理は語られない。冒頭いきなりロングコートで猟銃をぶっ放して仕事を終えるエメ(お前はアントニオ・ダス・モルテスか)。その大胆で簡潔な仕事振りが披露され、読者はいとも簡単にハードボイルドにしてノワールの世界に踏み込んでしまう。そして舞台は、列車で次の仕事場の港町プレヴィルへ。

 エメは、トラブルのにおいを嗅ぎつけると、そこで細工をして対立をけしかけ、紛争に乗じて殺しを請け負い、金をまきあげてトンズラするという一匹狼の殺し屋。生きている価値のないバカは夫といえども殺してしまう。これまで殺したのは7人。列車の個室コンパートメントで、汗と涙を、飯をがつがつ食ってついた口元のシュークルートのソースを、まきあげた札でぬぐい、逗留するホテルで筋トレをし、風呂で汗を流してマスターベーションもする。個室に一人いるときのエメの殺し屋としての孤独感の出し方がなかなか秀逸だ。そして、エメのこのかっこよさに惚れてしまうのだが、街での移動はなぜか自転車。トレーニングの一環なのか、ひたすら自転車で街を走り回る。美人の殺し屋が自転車で息を弾ませながら坂を登る、こういう禁欲的なところに可愛らしさがある。

 缶詰工場の事件をきっかけに利権を貪る街の有力者、警察、マスコミから金を巻き上げて、彼らの目の上のたんこぶである男爵を殺してあげるのだが、本当に街を浄化するならこの有力者たちをやらねばと義侠の人になって、港でみんなまとめて殺してしまおうという展開。まさに殺戮の天使と化すのだが、最後は反撃にあって、自らも傷つくラストシーン。なぜか急に一人称になって、作者が「私は見た」と登場する荒唐無稽さは、まるでジム・トンプスンではないか。私は何を見たのか。朝日と血に染まった赤いイブニングドレスに身を包んで荒野を歩くエメを。

 というわけで、「ニキータ」とか、「キル・ビル」のユマ・サーマン演じるブライドなどの女殺し屋のモデルはエメじゃないかと思えるほどなのだが、金持ちを手玉に取る美貌とか機能性だけではないファッションセンスが必要なところがちょっとちがう。30代のハードボイルドないい女ができる女優って誰かなー。と思いをめぐらす月曜日なのであった。

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