ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

60年代ロンドンのファッションがかっこいい『欲望』

2007年08月09日 | 映画
 ミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』をDVDで観る。

 ハービー・ハンコックのファンキーなジャズ・ロック、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックを擁したヤードバーズのライヴ、ジェーン・バーキンのモッズファッションと60年代のロンドンのモード満載で、その色彩がすばらしい。とりわけ夜の公園の前で黒い車を止めたカメラマンが漆黒の闇の中に現れるときの艶やかな黒、街頭に照らされた後方の店の赤とその赤が映りこんだ黒の車体をとらえたショットは官能的だ。

 カメラで撮影した現実の断片には公園での男女の逢引の光景が写っている。それは、幸福の風景にも見えるし、ある女優の密会をとらえた写真だともいえる。だが、引き伸ばされた(原題のBLOW-UPは写真の引き伸ばしのこと)写真は粒子が粗くなり抽象化される一方、ある思惑が働くことによって、白と黒の模様でしかない画像は、繁みの影のピストルやら死体に見えてきて、それは殺人の現場写真になってしまう。あたかも現実を切り取ったかのようなリアルな写真では見えないが、拡大され、抽象化された模様の中に真実が浮き出てくるというイロニーで、写真や映画が映し出すと信じられている安易なリアリズムの批判を試みているのだろうか。だが、実際にあった死体が消えていることによって、実は何も起きてはいなかった、カメラは光と影しか写さないのだといっているのかもしれない。

 カメラマンは、モード写真家として人気ものらしいが、モデルを使ったファッション写真には気乗りがしない。下層労働者の生活に自ら潜入しその実態をカメラに収め、あたかも社会派のリアリストであるふりをするのだが、実は彼は現実と交わることはない。下層労働者に成りすまして写真は撮るが、実際にはベントレーのコンバーチブルでロンドンの街を疾駆する金持ちで、モデルにニコンを向けて擬似セックスをしたり、モデル志望の女とスタジオで戯れたりするが実際にはセックスはしない。友人の男女が交わっているのを眺めてはいても。

 フィルムを取り返しに来た公園の女、バネッサ・レッドグレーブが簡単にブラウスを脱ぎ、寝室まで入りかけるのだが、骨董屋から荷物が届いて中断するように、ここでも現実と交わることはない。虚構を生業とする映画監督やカメラマンとは何者なのか、そして、いまあなたが観ている映像にあなたは何を観ているのか、とアントニオーニは問いかける。それにしてもレッドグレーブがクールで、素敵だ。モニカ・ヴィッティもそうだがアントニオーニはこの手の顔が好きなのだ。ただ、バーキンが胸も晒すのに、レッドグレーブは、ブラウスは脱いでも胸は隠し続ける。出し惜しみをしてはいけない。

 ピエロのメイクをした若者のパフォーマンス集団が冒頭とラストに登場する。それは、あたかもこれから始まるお話は、本当か嘘か、現実なのか幻なのかという口上で始まり、最後はさてさてご覧いただいたお話、あなたは何を見たのですかと、観客に見えないボールをアントニオーニが投げ返して終わる、かのようなのだった。

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