東京都美術館で開催の「フェルメール展」を見てきた。平日の夕方近く、それでも入場に10分待ちの表示。実際には待つことなく入れたのだが、あらためてその人気ぶりに驚く。
フェルメールそのものは、全39点のうち7点。これだけの点数を一挙公開は初めてということだが、サブタイトルの「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が、フェルメール展と名乗る言い訳のようでもある。ピーテル・デ・ホーホをはじめデルフト派の画家たちとフェルメールとを分かつものは、光と影のとらえ方、透視図法という技法に溺れるかどうかではないかと思えた。デルフト派の画家たちが、技法を描くのに対し、フェルメールは市民の日常を縦の構図の中に描く。意外だったのは、「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」などは、全体がかすみがかったような淡い色彩だったことで、「ワイングラス~」の女性のドレスのオレンジがやけに鮮やかに強調されていることだった。しかも主人公の女たちはみんな真珠の耳飾をしていた。奥行きのある縦の構図は、小津や溝口やウエルズのあるシーンを思わせ、フェルメールは17世紀のすばらしい映像作家だと思ったしだい。残念なのは、「私はフェルメール」と豪語したメーヘレンの作品が展示されなかったことだ。いかに似ているのか、その違いを見たかった。
フェルメールそのものは、全39点のうち7点。これだけの点数を一挙公開は初めてということだが、サブタイトルの「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」が、フェルメール展と名乗る言い訳のようでもある。ピーテル・デ・ホーホをはじめデルフト派の画家たちとフェルメールとを分かつものは、光と影のとらえ方、透視図法という技法に溺れるかどうかではないかと思えた。デルフト派の画家たちが、技法を描くのに対し、フェルメールは市民の日常を縦の構図の中に描く。意外だったのは、「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」などは、全体がかすみがかったような淡い色彩だったことで、「ワイングラス~」の女性のドレスのオレンジがやけに鮮やかに強調されていることだった。しかも主人公の女たちはみんな真珠の耳飾をしていた。奥行きのある縦の構図は、小津や溝口やウエルズのあるシーンを思わせ、フェルメールは17世紀のすばらしい映像作家だと思ったしだい。残念なのは、「私はフェルメール」と豪語したメーヘレンの作品が展示されなかったことだ。いかに似ているのか、その違いを見たかった。
私はCDAの二次試験また落ちちゃいました。
しかも「不自然ね笑顔」のせいで。
2浪です。なんとかせねば。
フェルメール観てきたんですね。
私は前売りは買ってありますが、
まだ行ってません。
どんどん混んできますよね。
メーヘレンも観たかったな。
贋作は倫理的に芸術とはみなされないんでしょうね。
カバーと云えばいいのにね。
また、一杯行きましょう。