ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

漱石と建築

2006年01月30日 | 
 漱石が晩年過ごした「漱石山房」を新宿区の跡地に復元するらしいということは、朝日新聞や雑誌「東京人」の漱石特集でも触れられていたが、その後どうなったのかしらん。

 もっとも漱石自身が、記念館など欲するかといえば、文化勲章だって拒否したくらいだから、きっと「イエス」とはいわないはずだが、国民みなこの大作家にはお世話になっているのだから、江戸っ子にして国民的作家といわれているにもかかわらず、どんな事情があるにせよ漱石記念館さえ東京に存在しないのは恥ずかしかろう。だから新宿区が復元に取り組むことには拍手を送りたい気分なのだ。新宿区には、なかなかしっかりした区の歴史博物館がある。どうかこの大作家にふさわしいものをと願うばかりだ。できれば、南画からミレーに至るまで漱石が愛した古今東西の絵画なども展示してほしいし、あるいは「それから」の代助のアールヌーヴォー風部屋など、建築物が重要な意味を持っている漱石の小説舞台を再現してくれると楽しかろう。喫茶室では青磁の皿に羊羹を出してほしいものだ。

 こんなことを考えたのは、「漱石まちをゆく―建築家になろうとした作家」(若山滋著・彰国社)を読んで、漱石作品に描かれる建築物の意味を解き明かしていておもしろいと思ったからだ。

「漱石の小説に現れる建築には、南画的世界と洋風建築の二つの典型がある。社会制度の呪縛のなかにある和風住居には、漱石らしい壮年の主人公がいる。一方、洋風建築には、気の強い美人のヒロインが住む。その二つの対立空間で、若い主人公が揺れ動く構図になっている」と分析し、晩年の作品では、南画的世界と洋風建築の際立った意味合いが薄れていき、不安の象徴のようにモダニズムが表れてくると述べている。また、漱石作品では水が重要な役割を果たしているとして、「三四郎」「草枕」の池、「行人」「こころ」などの海に死や不安、漂白のイメージを読み取っていて、なーるほどと思ったしだい。建築家が書いた漱石論だが、作中人物のモデルは誰だなんてやっている文学書よりはるかに刺激的でおもしろいことは確かです。


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