ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

キンチョーの夏、円朝の夏。

2007年07月26日 | 
 三遊亭円朝作「怪談 牡丹燈籠」(岩波文庫)は、カランコロン、カランコロンと下駄の音を響かせ、牡丹柄の燈篭をさげて恋の病で死んだお露の幽霊が恋しい新三郎の家を夜毎訪ねるという怪談噺だと思っていた。子供のころ夏になると必ず田舎の映画館で特集したお化け映画特集では、天知茂主演の「東海道四谷怪談」(中川信夫監督/これは怖い!)とたぶん東映版「牡丹燈籠」は定番で、テレビでも何度か見たつもりだが、覚えていたのは、まさにカランコロンの場面だけ。もちろん、そこが怪談たる所以なのだが、岩波文庫版を読んでみたら、実は、この怪談噺は、二人の男の偶然の出会いによって展開する二つの物語の一方の流れに過ぎず、終末には再び、二つの物語が合流して結末を迎えるという、まさに「瀬をはやみ」状態の物語なのだった。

 怪談部分のお露・新三郎の悲恋、飯島平左衛門と孝助の忠義の物語を二つの軸に、不義不貞をはたらく平左衛門の妾お国と源次郎、新三郎の恩義も忘れ、その家から護符をはがしてやる見返りに、幽霊お露から五十両をせしめ、宇都宮で雑貨商として財を成す伴蔵とお峰、幇間医師の志丈など、欲に目がくらんだ悪役たちの充実振りが、この噺の面白さだ。

 新三郎が夜毎通うお露の幽霊を抱いていることを伴蔵が覗き見するシーンもすごいが、圧巻は、主人への忠義から、平左衛門殺しを企てるお国・源次郎の不倫コンビを孝助が始末しようという場面。孝助が、いざ闇夜に待ち伏せして槍で一突きしてみれば、それはなんと主人の平左衛門。しかし、それは平左衛門が孝助に父の仇(孝助の父黒川考三は若き日の平左衛門に切り殺されている)である自分を討たせるために仕組んだことだった。平左衛門はその事実を孝助に伝えるとともに傷を負ったまま、お国・源次郎の密会現場になだれ込み、相手に傷を負わせるも自ら切られ果て、逆にお国・源次郎を孝助の主人の仇とさせてしまう。このたたみかける噺の展開がすばらしい。

 1年後には見事あだ討ちを果たすという忠義の物語で終わるのは、いささか忠義賛歌の感ありだが、これだけの人間模様を一つにまとめる円朝の作家としての手腕はすごい。口演の速記録だけに、読み物としての面白さとライヴの迫力が一体となって、一気に読めてしまう。

 さて、円朝の「怪談牡丹燈籠」は、三遊亭円生、桂歌丸の口演がそれぞれCD化されている。まず円生を買ってみようか。読んでみると、やはり声で聞きたくなるではないか。あるいは、国立新美術館の「日展100年展」に展示されている重要文化財、鏑木清方の「三遊亭円朝像」に会いに行こうか。

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