ロバート・レッドフォードが監督した「モンタナの風に吹かれて」という「シェーン」あたりが原型となるよくあるお話の映画にかわいい少女役で出ていたのがスカーレット・ヨハンソンだったというのは、かなりあとになって知ったのだが、「バーバー」で車が事故を起こすきっかけとなる床屋の股間に顔を埋める前の少女の表情や「真珠の耳飾りの少女」の美しさに比べると、最近録画で観た「ロスト・イン・トランスレーション」のスカーレット・ヨハンソンは、まあナチュラルな演技やメイクが求められていたせいもあるのか、とてもブスに撮られていた。
これは、監督のソフィア・コッポラが悪い。「ゴッドファーザーPART3」でマイケルの娘役で出てきてしまったソフィアは、作られなくてもよかった「PART3」ということを差し引いたとしても、こんな重要な役で出てきてはいけない顔であり、その等身大で役を与えたのがこの映画だったので、スカーレット・ヨハンソンはソフィア並みの無残な姿でスクリーンに登場しなければならなかった。ヨハンソンをこんなにするなら、ソフィアが自分でやればよかったのだ。そうすればカメラマンの夫に放っておかれるという設定も納得される。
異国にいる疎外感、孤独感から同国人が惹かれあうというのはよくある話だが、傍若無人な日本人、カラオケ、しゃぶしゃぶ、ホテトル(?)、わけの分からない国日本という虚構が前提としてなければ成立しない物語なので、いまさらこの程度の異文化認識で映画を撮ること自体どうかと思う。忙しいカメラマンの若い学生妻という役なのだが、それほど稼いでいるとも思えない夫が、ハリウッドスターが宿泊するホテル(センチュリーハイアット)に長期滞在できるのかとか、ヨハンソンが妻だったら、いくら忙しくてもずっと一緒にいたいだろうにとか、見終わった後だんだん不愉快になってくる映画なのだった。
ぼくは、特別スカーレット・ヨハンソンが好きなわけではないけれど、たまたま観た映画になぜかよくこの人がでていて、フェルメールの「青いターバンの少女」をモデルにした「真珠の耳飾りの少女」では、あまりにもよく絵に似ていたので、それ以来フェルメールの少女がみんなヨハンソンに見えるくらいなのだった。
これは、監督のソフィア・コッポラが悪い。「ゴッドファーザーPART3」でマイケルの娘役で出てきてしまったソフィアは、作られなくてもよかった「PART3」ということを差し引いたとしても、こんな重要な役で出てきてはいけない顔であり、その等身大で役を与えたのがこの映画だったので、スカーレット・ヨハンソンはソフィア並みの無残な姿でスクリーンに登場しなければならなかった。ヨハンソンをこんなにするなら、ソフィアが自分でやればよかったのだ。そうすればカメラマンの夫に放っておかれるという設定も納得される。
異国にいる疎外感、孤独感から同国人が惹かれあうというのはよくある話だが、傍若無人な日本人、カラオケ、しゃぶしゃぶ、ホテトル(?)、わけの分からない国日本という虚構が前提としてなければ成立しない物語なので、いまさらこの程度の異文化認識で映画を撮ること自体どうかと思う。忙しいカメラマンの若い学生妻という役なのだが、それほど稼いでいるとも思えない夫が、ハリウッドスターが宿泊するホテル(センチュリーハイアット)に長期滞在できるのかとか、ヨハンソンが妻だったら、いくら忙しくてもずっと一緒にいたいだろうにとか、見終わった後だんだん不愉快になってくる映画なのだった。
ぼくは、特別スカーレット・ヨハンソンが好きなわけではないけれど、たまたま観た映画になぜかよくこの人がでていて、フェルメールの「青いターバンの少女」をモデルにした「真珠の耳飾りの少女」では、あまりにもよく絵に似ていたので、それ以来フェルメールの少女がみんなヨハンソンに見えるくらいなのだった。