ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

シツコイようですが…1

2015-11-07 14:42:28 | 日記
奥さんは現世に戻って(笑)仕事仕事の毎日ですが
ボクの方が『又聞きライブツアー』から
ナカナカ抜け出せないって、どーゆーことでしょ?(苦笑)

例えば、甲斐バンド解散後の甲斐さんのインタビュー記事で…

一番バンドを続けたかったのは俺なんだ
一番バンドって形態に固執してたと思う

だって俺、キンクスとかストーンズとか
タフでスピリットがあるボーカルグループに憧れて
音楽を始めたんだしね…とおっしゃった後に

バンドってラグビーみたいなもんだよ
フォワードがきっちりスクラム組んで、球出して
バックスのフォーメーションを使ってゴールを目指す

いつも同じ人間の組み合わせで
ゲームを進めてトライを取りに行く
と、いうのがバンドの鉄則だと思うし、それがすごく好きだ
…なんて話されてるのを見つけると

当時は、サッカーの『サ』の字もなくて(笑)
ホントにラグビー好きでいらしたんだなあと…(笑)

『花園ラグビー場での暴動を鎮めた【安奈】』については
『そして音楽が始まる』という
テレ東の音楽ドキュメンタリー番組が書籍化されたものを
引っ張り出してしまいました(笑)

2003年8月に発行されてるようだけど、この番組を見た記憶はなく
関東圏のみの放送だったのか?
それとも、その頃の我が家では
テレビ大阪が視聴できなかったからか?(苦笑)

ともあれ、その資料によると…
スタジオに現れた甲斐に【安奈】誕生の秘話を尋ねると
甲斐はエネルギッシュな語り口でこう語った

『男は強くあるべきだなんていう
従来の使い古されたフレーズはもういらなかった
俺はもっと本当のことを書きたいという気持ちがあったんです、切実にね』

当時の東芝EMIの甲斐バンド担当ディレクターでいらした
米田恵一さんいわく…
『ヒーローになる時、それは今』というサビの部分だけが
15秒、30秒のCMで切り取られて
広く世間に甲斐バンドを知らしめたんです

しかし、今度は『等身大の甲斐バンド/甲斐よしひろ』というものを
出しておく必要があるんじゃないかという考え方に立ち戻ったんです

甲斐さんが【安奈】の2番の歌詞を書かれた渋谷のバーは
『西田佐知子とか渡哲也をかけるような変なバー(笑)』だったそうですが

甲斐さんは【アカシアの雨に打たれて】や【くちなしの花】は
日本のハードボイルドなんですよね
凄い大事だと思ってるんですよ

要するにこの歌には、非常に言葉を削り尽くして
その行間で泣かせるような所がある

やっぱり、この国で育って生きている訳だから
そういう日本的なものがロックの中で生まれていかないと
俺たちの未来はないと、もの凄く思ってましたね

たとえうるさい居酒屋でも、思わず歌詞を聴いてしまうような
自分の声が届く歌を作りたいという思いで
断片的に浮かんで来る歌詞をコースターに書き留めていった
…と話されてます

【安奈】を書いた頃は、一度恋愛に失敗して
かなり精神的にボロボロだったんです
だからといって、北へ北へ向かって流れていく
従来の歌謡曲のような男の話じゃダメなんだと思った

凄くリアルな男の姿をここで書かないと自分は前に進めない
で、僕は、格好をつけている男ではなく
もろくて弱い、生々しくてリアルな
そんな自分の部分を出そうと思った
だから…と冒頭の言葉を語られたようです

以前にも触れましたけど…
この曲と【街灯】は、甲斐さんが最初のご結婚(苦笑)の前に
『甘い曲を2曲書いた』とおっしゃったらしいんですが

後に『もう一度、ふたりだけの愛の灯をともしたい』という歌詞は
『その時の俺の正直な気持ちだった』と話され

じゃあ【東京の一夜】の彼女のことを歌われたのかと
物議をかもしたとか、かもさなかったとか…(笑)

上記のインタビューでは、その彼女のこととも
前の奥様のこととも受け取れますけど

最初に『レゲエ調』の【安奈】が出来た時に
『俺の安奈はこんな女じゃない』と
書き直されたというエピソードもあったみたいですし…(笑)

愛ろくツアーで披露されたレゲエ・バージョンは
『公平さんありき』だったのか?
ラグビー繋がりだったのか?も気になるトコなんです(笑)
コメント
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