これは、かのミスター・ジャイアンツこと
長嶋茂雄さんが『ひまわり』ならば…と
野村克也さんがご自身を例えられた言葉ですが
野村さんだけでなく、長嶋さんと同時期に野球に携わられた方は
皆さん大なり小なり、同様の思いを抱かれたんじゃないかと…?
『栄光の背番号3』は、華々しい逸話や伝説に包まれ
イヤでも(笑)人々の記憶に刻み込まれているのに対して
本来ならもっと取り沙汰されても不思議ではない筈なのに
その輝きにかき消されるかのように
ひっそりと佇まざるを得ない(失礼!)
立場の方がいらしたことは想像にかたくありません
沢木耕太郎さんが『敗れざる者たち』に取り上げられたのも
その中の何人かの方々でしょう
先日の『THE レジェンド 2015』でも
今、絶大な人気を誇る五郎丸選手と同期の畠山選手が
昔からずっと五郎丸選手の活躍をすぐ近くで見て来られたせいで
『性格がひねくれてしまった(笑)』とおっしゃってました(苦笑)
まあ、畠山選手はFWでいらっしゃるし
ポジションで争われることはなかったと思いますが
同年代でFBだった方々の中には
『コイツさえいなければ…』と考えてしまわれた方も…?(苦笑)
もちろん、実力の世界ですから
自分の精進が足りないんだと努力なさったであろうことは
疑う余地がないんだけど…
でも、かつての栃若時代(古っ!)のように
良きライバルがおられたからこそ
お互いに切磋琢磨なさったという関係も成り立つ訳で
やはり『天性の』とか『神に選ばれし』といった
努力では補えない『何か』を持った方々が存在するのかなあ…?
『天才は99%の努力と1%の才能』と申しますし
その1%には、おそらく『運』を味方にする力も含まれるんじゃないかと…
奥さんは『時の運に恵まれない』と聞くと
必ず『レコード大賞』を思い出すらしく(笑)
例えば、布施明さんの【積木の部屋】は
森進一さんの【襟裳岬】の前に涙を飲み
小柳ルミ子さんの【星の砂】がリリースされた1977年は
石川さゆりさんの【津軽海峡冬景色】でさえ
沢田研二さんの【勝手にしやがれ】にあと一歩及ばず…という風に
大賞を受賞した大ヒット曲と同時期でなければ
きっと受賞できたであろう曲が印象深いんだとか…(笑)
ただ、ヤマハのポプコンでグランプリを獲得したあるグループは
前年度にも同じ曲でエントリーして
受賞できなかったリターンマッチだったみたいで
時代が曲に追いついたのか?それとも…?(苦笑)
ともあれ、ばんばひろふみさんも以前に
【SACHIKO】がチャート1位になれなかったのは
久保田早紀さんの【異邦人】とカチ合ってしまったからだ(笑)と
話されてました(苦笑)
ちなみに…久保田さんは
イランに駐在されていたお父様が持ち帰られた現地のポップスや
ポルトガルのファドに刺激を受けられて
【異邦人】を作曲なさったそうですが
甲斐さんがサンストで『言い方は軽いんだけど
最後の1行がナンか胸にグッと来る』とおっしゃったという
歌詞を書かれたきっかけは
『電車から見えた国立か国分寺の景色だった』らしい(笑)
そういえば、この曲とタイアップしたCMは
お父様がお勤めになっていた家電メーカーとは
違う会社だったような気が…(笑)
それはさておき…
かつて『ザ・ベストテン』で寺尾聡さんの【ルビーの指環】が
何週にも渡って1位をキープし続けましたが
当時の『レコ大レース』というのは
キネマ倶楽部の階段を使うに相応しい?(笑)ジュディ・オングさんが
映画『SHOGUN』のオファーを断られたり
寺尾さんも『歌手か?俳優か?』の選択を迫られ
石原軍団を去らなければならなくなったりと
どれだけヒットしようと安心できるものではなかったんでしょうね?
でも、松本隆さんの作詞された数々の歌の中で
最高売上げを記録したのは【ルビーの指環】ではなく
KinKi Kidsさんの【硝子の少年】だったそうで
寺尾さんの場合は【シャドー・シティ】や【さすらい】も収録された
アルバムの方が人気が高かったのかも…?
そうそう!甲斐バンドがCMに起用されたのは
同じく候補に挙がっていた矢沢永吉さんが
すでに他のCMソングでメジャーになっておられ
原田真二さんは、デビューを飾られたトリプル・シングルの作詞を
松本隆さんが担当なさっていたことで
『作られたアイドル』視をされた方がいらしたからみたいです(苦笑)
長嶋茂雄さんが『ひまわり』ならば…と
野村克也さんがご自身を例えられた言葉ですが
野村さんだけでなく、長嶋さんと同時期に野球に携わられた方は
皆さん大なり小なり、同様の思いを抱かれたんじゃないかと…?
『栄光の背番号3』は、華々しい逸話や伝説に包まれ
イヤでも(笑)人々の記憶に刻み込まれているのに対して
本来ならもっと取り沙汰されても不思議ではない筈なのに
その輝きにかき消されるかのように
ひっそりと佇まざるを得ない(失礼!)
立場の方がいらしたことは想像にかたくありません
沢木耕太郎さんが『敗れざる者たち』に取り上げられたのも
その中の何人かの方々でしょう
先日の『THE レジェンド 2015』でも
今、絶大な人気を誇る五郎丸選手と同期の畠山選手が
昔からずっと五郎丸選手の活躍をすぐ近くで見て来られたせいで
『性格がひねくれてしまった(笑)』とおっしゃってました(苦笑)
まあ、畠山選手はFWでいらっしゃるし
ポジションで争われることはなかったと思いますが
同年代でFBだった方々の中には
『コイツさえいなければ…』と考えてしまわれた方も…?(苦笑)
もちろん、実力の世界ですから
自分の精進が足りないんだと努力なさったであろうことは
疑う余地がないんだけど…
でも、かつての栃若時代(古っ!)のように
良きライバルがおられたからこそ
お互いに切磋琢磨なさったという関係も成り立つ訳で
やはり『天性の』とか『神に選ばれし』といった
努力では補えない『何か』を持った方々が存在するのかなあ…?
『天才は99%の努力と1%の才能』と申しますし
その1%には、おそらく『運』を味方にする力も含まれるんじゃないかと…
奥さんは『時の運に恵まれない』と聞くと
必ず『レコード大賞』を思い出すらしく(笑)
例えば、布施明さんの【積木の部屋】は
森進一さんの【襟裳岬】の前に涙を飲み
小柳ルミ子さんの【星の砂】がリリースされた1977年は
石川さゆりさんの【津軽海峡冬景色】でさえ
沢田研二さんの【勝手にしやがれ】にあと一歩及ばず…という風に
大賞を受賞した大ヒット曲と同時期でなければ
きっと受賞できたであろう曲が印象深いんだとか…(笑)
ただ、ヤマハのポプコンでグランプリを獲得したあるグループは
前年度にも同じ曲でエントリーして
受賞できなかったリターンマッチだったみたいで
時代が曲に追いついたのか?それとも…?(苦笑)
ともあれ、ばんばひろふみさんも以前に
【SACHIKO】がチャート1位になれなかったのは
久保田早紀さんの【異邦人】とカチ合ってしまったからだ(笑)と
話されてました(苦笑)
ちなみに…久保田さんは
イランに駐在されていたお父様が持ち帰られた現地のポップスや
ポルトガルのファドに刺激を受けられて
【異邦人】を作曲なさったそうですが
甲斐さんがサンストで『言い方は軽いんだけど
最後の1行がナンか胸にグッと来る』とおっしゃったという
歌詞を書かれたきっかけは
『電車から見えた国立か国分寺の景色だった』らしい(笑)
そういえば、この曲とタイアップしたCMは
お父様がお勤めになっていた家電メーカーとは
違う会社だったような気が…(笑)
それはさておき…
かつて『ザ・ベストテン』で寺尾聡さんの【ルビーの指環】が
何週にも渡って1位をキープし続けましたが
当時の『レコ大レース』というのは
キネマ倶楽部の階段を使うに相応しい?(笑)ジュディ・オングさんが
映画『SHOGUN』のオファーを断られたり
寺尾さんも『歌手か?俳優か?』の選択を迫られ
石原軍団を去らなければならなくなったりと
どれだけヒットしようと安心できるものではなかったんでしょうね?
でも、松本隆さんの作詞された数々の歌の中で
最高売上げを記録したのは【ルビーの指環】ではなく
KinKi Kidsさんの【硝子の少年】だったそうで
寺尾さんの場合は【シャドー・シティ】や【さすらい】も収録された
アルバムの方が人気が高かったのかも…?
そうそう!甲斐バンドがCMに起用されたのは
同じく候補に挙がっていた矢沢永吉さんが
すでに他のCMソングでメジャーになっておられ
原田真二さんは、デビューを飾られたトリプル・シングルの作詞を
松本隆さんが担当なさっていたことで
『作られたアイドル』視をされた方がいらしたからみたいです(苦笑)